【袴田事件】無罪を訴え続けた58年。47年7カ月間の拘束

【袴田事件】無罪を訴え続けた58年。47年7カ月間の拘束

事件概要

発生日時1966年(昭和41年)6月30日
発生場所日本の静岡県清水市横砂651番地の1
(現: 静岡市清水区横砂東町)の民家
内容味噌製造会社の専務一家4人が殺害されて集金袋が奪われ、この民家が放火された強盗殺人・放火事件
被害者主人:橋本藤雄さん(当時41歳)
妻 :ちゑ子さん(当時38歳)
次女:扶示子さん(当時17歳)
長男:雅一郎さん(当時14歳)
一家4人
犯人不明
冤罪袴田巌(はかまだ いわお)さん(当時30歳)
1980年11月19日に死刑確定。
2024年9月26日の再審第一審判決で無罪判決。(88歳)

事件の経緯

1966年6月30日午前1時35分〜40分ごろ
橋本さん宅の隣人Aさんが、材木の倒れるようなドシン、ガラガラという音を聞く。
橋本さん宅とは隣接しており、隣りの土間の下駄ばきの音がよく聞こえるほど近いらしいが、
それ以外の音は聞こえなかったという。

1966年6月30日午前1時47分〜50分頃
隣人Aさんとは逆の橋本さん宅の隣に住むBさんが2階の布団部屋の窓から煙が侵入してきたのを発見、火事だと思い外に出る。

1966年6月30日午前2時10分頃
消防団のサイレンが鳴りだし、近所の農家Cさんが清水警察署に通報した。

1966年6月30日午前2時半頃
鎮火。

焼け跡からは焼け焦げた死体が4体発見された。
死体解剖から殺人・放火事件と断定。
橋本藤雄さん(41才)
計15か所の刺し傷・切り傷・全身に火傷。死因は失血によるものと推定。

妻、ちゑ子さん(38才)
背中などに6か所の刺し傷・切り傷・死因は出血と火傷。

次女、扶示子さん(17歳)
9カ所の刺し傷・全身の火傷。死因は心臓刺し傷による出血と一酸化炭素中毒。

長男、雅一郎さん(14才)
11カ所の傷・全身火傷。死因は胸部を刺された傷からの出血。

また、現場には、強いガソリン臭が残っていた。
現金や小切手なども盗まれていたことも発覚。

捜査と逮捕

事件発生から一週間に述べ千人以上の警察官を動員したが、手掛かりがつかめずに捜査は難航。
会社の内情に詳しい者による犯行との疑いを強め、会社関係者を中心に聞き込み捜査などを進めた。
また、巨漢で柔道の有段者である橋本さんと格闘できた人間として、元ボクサーである袴田さんの名が浮上した。
袴田さんは、現場のすぐ裏側にあった味噌製造工場二階の従業員寮に住み込んで働いてたが、
・袴田さんにアリバイがなかった。
・事件直後左手中指を怪我していた。
・寮から押収された袴田さんのパジャマから微量の血液とガソリンが検出された。
これらを理由に袴田さんを犯人と断定。
1966年8月18日 逮捕

長時間の取り調べと自白

1966年8月19日
取り調べ開始。
この日から19日間毎日長時間の取り調べが行われている。
1966年9月6日(勾留期限3日前)
犯行を頑強に否認していたが、犯行を自白。

自白内容

1966年6月29日夕方に犯行を決意して従業員寮で時間を待ち、6月30日1時20分ごろ、パジャマの上に工場内の雨合羽を着て、工場から見て東海道線の向こうにあった橋本さん宅に侵入したが、寝ていた橋本さんに気づかれて大声を出されたため、格闘の末に持っていたくり小刀で刺殺した。
その後、橋本さんの大声で目を覚ました妻・次女・長男も相次いで殺害。
「焼いてしまえば跡が残らない」と考え、1人1人に油をかけた上でマッチを使って点火した。

無罪主張

1966年11月15日
静岡地裁で開かれた第一審の初公判で、袴田さんが起訴事実を全面否認。
以後一貫して無実を主張した。

血染めの衣類発見

1967年8月31日
味噌製造工場にある味噌の1号タンク内から、従業員が血染めの「5点の衣類」を発見する。

死刑判決

1968年9月11日 静岡地裁
死刑判決。
血染めの「5点の衣類」には袴田さんと同じB型の血液が検出されたことが理由に挙げられた。

1980年12月12日 最高裁判所
死刑判決が確定。

捏造された証

この事件では、「5点の衣類」について、弁護団が「味噌漬け実験」を行うなど激しい争点となっている。以下の写真は事件発生から1年以上経過してから発見された衣類の写真。

この写真の衣類についている血液型がB型で、袴田さんの血液型と一致したことが理由となり死刑判決を受けている。

味噌漬け実験の結果

以下の写真は弁護団が「味噌漬け実験」から約6ヵ月を経過したもの。

味噌漬け実験報告書 より

この写真からもわかるように、検察側が提出した「衣類5点」は1年以上も味噌の中に浸かっていたとは思えない色をしている。

再審

2023年(令和5年)3月21日付
静岡地裁は再審開始を決定し、合わせて死刑の執行の停止並びに拘置の執行も停止した。

無罪判決

2024年9月26日
捜査機関による三つの証拠捏造が認められ、無罪が言い渡された。
【捏造1】
「5点の衣類」は捏造
【捏造2】
警察が袴田さんの実家を捜索した際に見つかったとされる「5点の衣類」のズボンの切れ端は捏造
【捏造3】
「自白」したとする検察官の取り調べ調書は黙秘権を侵害し、非人道的な取り調べで獲得された虚偽のもので、「実質的な捏造」

裁判長の言葉

裁判長は2時間近くかけて判決を読み上げた後、袴田さんの姉のひで子さんに証言台の前に座るように促した。

「再審の初公判でひで子さんは巌さんに『真の自由を与えてほしい』と願われました。無罪判決が言い渡されましたが検察は控訴する余地があり、審理は続く可能性があります。無罪が確定しないと意味がありません。巌さんに自由の扉は開けましたが、まだ、閉まる可能性はあります」
「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っています」

國井裁判長は、ことばをつまらせながら話した。

まだ終わっていない

2024年10月8日
検察当局は、控訴を断念すると発表した。
検察側が上訴権を放棄するか、控訴期限の10日が過ぎれば、無罪が確定する。

事件から58年。袴田さんは88歳。長い拘禁生活の間に、精神に変調を来した袴田さんに代わって保佐人として支えてきた姉のひで子さんは91歳になった。


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