【青森県新和村一家7人殺害事件】村の風習に振り回された家族。そして悲しい結末に擁護の声も

【青森県新和村一家7人殺害事件】村の風習に振り回された家族。そして悲しい結末に擁護の声も

事件概要

発生日時1953年(昭和28年)12月12日の深夜
発生場所青森県中津軽郡新和村小友
(現:弘前市大字小友字宇田野496番地)
被害者父親(当時57歳)水木福三郎さん
長兄(当時35歳)ら一家7人
犯人三男
判決・殺人・尊属殺人は無罪
・物置小屋への住居侵入
(懲役6ヶ月・執行猶予2年)
※この記事では、犯人の三男目線で「父親、母親、祖母、伯母」という表現をする。
※兄弟については、「長男・次男・三男・妹」と表現する。

リンゴ園農家の三男が(当時24歳)が実家に侵入、猟銃で父親(当時57歳)・長男(当時35歳)ら一家7人を射殺した。
その後、現場となった実家は原因不明の火災によって全焼。子供1人が焼死した。
計8人が死亡したことから、「8人殺し事件」と称される場合もある。
刑事裁判では、犯人の三男は殺人行為におよんだ時点では心神喪失状態だったことが認定され、殺人に関しては無罪が確定した。

集落

リンゴ栽培が盛んな集落で豊かな農村だが、集落内の貧富の差が激しく村の2割は極度の貧困状態だった。家の財産は全て長男が継ぐ風習が残っていたため、次男と三男はこの2割の貧困生活を送っていた。

犯人について

1929年(昭和4年)11月10日
8人兄弟の三男(第7子)として誕生。

母親からは「真面目で親思いの関心な若者だと村でも評判」
次男からは「おとなしくて良い若者」
妹からは「やさしくて、村を出てからも2.3千円をくれて世話をしてくれた。兄弟の中で一番好き」と証言されている。

この評価からは、事件を起こすとは到底考えられない、真面目でやさしい人物像が浮かび上がる。

家族関係

父親は、村の顔役として消防団長を務めたりしている一方、
酒癖・女癖が悪く家庭を顧みない男だった。
酒に酔っては母親を焼けた木をもって追い掛け回し叩いたりしていた。

母親は暴力から逃れるために、着の身着のまま長男や姉を抱いて、近所の家の軒下に”わら”を敷いて、朝までいたこともあったという。
また父親は、自分の不貞現場を目撃した母親に対して、「殺してやる」と暴れた。
そのため母親は我慢できず実家に帰り、離婚訴訟を提起した。

両親の離婚裁判

両親の離婚裁判で長男は「三男と一緒に父親を毒殺する用意をしたことがある。」と証言するほど父親を憎んでいた。

しかし家督を相続した長男は、母親が家を出て以降、財産すべての独占を図り、次男と三男を毛ぎらいし、別居を迫った。

事件前年

1952年7月ごろ
三男は父親と長男によって家を追い出される。
その時の持ち物は「布団・鍋・米一斗」のみだった。
その後は集落の端にある民家を間借りし、桶職人として生活をしていたが、日々の食べ物にも困る生活であった。

三男だけではなく、長男をのぞいた兄弟たちも、財産分与・生活保障をまともに受けられないまま追い出されている。
次男にいたっては、追い出されたにもかかわらず、「忙しいから家を手伝え」と呼び戻され
仕事が終わると無一文で再び追い出された。
四女(当時16歳)は長男から虐待を受け、母親に引き取られている。
長男は自分の妻と一緒に四女につらく当たっていたという。

三男は祖母の好意でわずかな米や味噌をもらいに来ていたが、それ以外ではめったに実家に出入りはしなかった。

そのころの住まいは、畳のない犬小屋のような汚い場所で強い雨風や雪は凌ぐことが出来ないような環境だったという。

計画的な殺人なのか

1953年秋ごろ
三男は村の駐在巡査に「親の家から物を持って来ても罪になるか」「正当防衛とは何か」と聞いていた。
長男の妻は自分の実家で「三男が、家の人を全部焼き殺してしまうという話を聞いたので、家へ帰るのが怖い」と話していたという。

このことから、計画的犯行も疑われたが、結果としては殺人は計画的ではないとされている。

事件当日

三男は帰宅後、味噌がないことに気づき、実家から味噌を盗もうと思い立つ。
1953年(昭和28年)12月12日1時過ぎごろ
父親が所有する物置小屋に侵入。
味噌を甕に移し取る。
物置小屋の中にあった中折単発式猟銃実弾十数発を装備した弾帯が置いてあるのを見つける。

「万が一味噌を盗んだことが知られれば、父親や長男に撃ち殺されるかもしれない」と考え、先に射殺する事を決意。

1時過ぎごろ
三男は弾帯を腰に帯び、猟銃を持って実家へ侵入。
寝ていた父親の頭を狙撃し殺害。
一緒に寝ていた長男の息子(当時7歳)(父親からしたら孫)も殺害。
長男夫婦とその娘(当時5歳)も殺害。
祖母(当時80歳)と伯母(父親の姉 当時61歳)も殺害したが、この2人を射殺した際の状況は覚えていなかった。

犯行に要した時間は72 – 80秒程度とされている。

逮捕直後、「最初は(幼い子供たちは)殺す気はなかったが、兄 が憎いのでその子供たちにも憎しみが重なり、いっそ殺してしまえと思って射殺した」と供述している。

三男は犯行後、頭部から血を流し、仰向けに倒れている父親の前に、自分が猟銃を持って立っていることに気づき自分が父を撃ったことを知って非常に驚き凶器の猟銃を捨て、勝手口から家を出た。
事件直後の1時30分ごろ
現場付近を通りかかった男性が、三男が「おやじを殺してきた」と叫んでいたため、現場の様子を見に行っている。しかし異常な点は見られなかったと証言している。

自首

事件を起こしてその足で同集落の親類の家に行き、泣き叫びながら「鉄砲で父に殺されると思ったので、父を撃った」と伝え、自首に付き添ってくれと頼んでいる。

謎の火事

三男が自首して駐在所での取り調べを受けている際に、実家から出火し全焼した。
この火事で長男の次女(当時3歳)が焼死した。

実家には使用人の男性(当時23歳)が住んでいた。
三男はこの男性も殺害しようと思っていたが、見当たらなかったと供述している。
この男性は2階の窓から飛び降り手足などに全治一か月の火傷を負いつつも一命をとりとめた。

この火事について、仙台高裁秋田支部 (1958) は判決理由で「就寝中の家人を至近距離から射殺した際、銃口より発された火炎が布団に引火したことで火災が発生し、実家が全焼したものと思われる」と指摘している。

判決

住宅への住居侵入罪・尊属殺人罪・殺人罪は無罪

物置小屋へ侵入した住居侵入罪は懲役6月(執行猶予2年)

「被告人は〔殺人行為の〕犯行当時心神喪失の状態にあったものと認めるを相当とすることに帰するからして〔殺人行為の〕公訴事実については刑事訴訟法第336条を適用して被告人に対し無罪の言い渡しをするほかはない。」

と結論づけた。

村民の反応

事件の背景から、村民たちの間では犯人である三男に同情する声も多く、第一審の公判中に次男や友人らが減刑嘆願運動を起こしたところ、開始から1週間で村民800人の署名が集まった。また、三男の母親や妹は公判で、それぞれ「事件は父親が悪い」「三男は良い兄だった」などと証言している。

その後

父親の遺産は次男が相続し、次男夫婦(子ども三人)と母親・妹の7人が実家に住み、
三男が釈放されたた際は、次男・妹が出迎え墓参りに行き実家に住んだ。

32歳で結婚、3児の父親となった。
2001年12月
72歳で交通事故死。

同集落で相次いだ家族間殺人

事件後、この集落では肉親の殺人事件が3回発生している。
この事件については追ってまとめたいと思う。