佐世保小6女児同級生殺害事件

佐世保小6女児同級生殺害事件

佐世保小6女児同級生殺害事件(させぼ しょうろくじょじ どうきゅうせい さつがいじけん)

事件発生日:2004年(平成26年)6月1日午後

事件の現場:長崎県佐世保市の市立大久保小学校

事件内容:6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで切り付けられて死亡した事件。

事件の概要

犯行を行った加害女児と被害者は、互いにコミュニティーサイト(カフェスタ)の提供するウェブサイトを運営し、パソコンでチャットや、電子掲示板で書き込みをする仲だった。

しかし交換ノートやホームページ上に被害者が記載した内容を見ているうちに、自分のことを馬鹿にし、批判しているように感じて立腹し、怒りを募らせた揚げ句、被害者を殺害しようと決意。

平成16年6月1日12時20分頃、加害女児は午前中の授業が終わった後の給食準備中、被害者を3階の学習ルームに呼び出し、そこでカーテンを閉めて椅子に座らせ、手で目を隠し背後から首と左手を切りつけた。

間もなく、被害者を頚部刺切創等に基づく失血により死亡させた。

被害者の首の傷は深さ約10センチ(普通の大人の首の太さは直径で13 – 15cmぐらい)、長さ約10センチになり、左手の甲には、骨が見えるほど深い傷(防御創)があったという。

加害女児は殺害方法として、カッターナイフの他に絞殺、アイスピックで刺すことなどを検討していたが、

加害女児が前夜に見たTBS系列(同県ではNBC長崎放送で放映)テレビドラマ『ホステス探偵危機一髪6』にカッターナイフで人を殺害する場面があり、女児自身「これを参考に殺人を計画した」と後に供述したことから、その後、各テレビ局が殺人シーンのあるドラマの放送を自粛する事態にもなった。

また、被害者家族、学校関係者、惨状を目の当たりにして心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負った救急隊員に、惨事ストレスやサバイバーズ・ギルトの兆候が見られる状態になった。

サバイバーズ・ギルトとは

戦争や災害、事故、事件、虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと。

インターネットに端を発していることや、当局の情報よりもインターネット上の情報が先行した点で、IT化した現代社会を象徴する事件とされる。

事件の背景

加害女児はもともと日常では無口な少女で、事件後に両親と面会した際にも母親が静かに涙を流していたのに対し、少女は何も言わなかったという。

しかし犯行前夜には父親に「この本、読みたい?」と聞かれ微笑んで「うん」と言ったというエピソードや父親の話から、ジャーナリストで「追跡!『佐世保小六女児同級生殺害事件』」の著者でもある草薙厚子の言う父親から少女への虐待の事実はなかったものとみられる。

少女は小さいころ、帰宅すると父親の膝に乗って話をしたりしていた。

テストで100点を取ったときは「すごいやんか。100点やんか」と言われて褒められた。

加害女児は事件よりかなり以前から、ホラー小説『ボイス』と小説『バトル・ロワイアル』のファンだった。

事件を起こす4カ月前には『バトル・ロワイヤル』の小説を同級生に貸し出しており、また大石圭の『呪怨』にも興味を示し、父親に買ってもらいたいという発言をしていた。

やがて、それらのホラー小説などの影響は、加害女児の現実における行動にも現れるようになっていった。

被害女児とは仲が良く、ウェブサイトや他の子を交えた交換日記での付き合いもあった。

2人は共に地域のミニバスケットボールクラブに所属していたが、小学5年生の終わり頃に加害女児は受験勉強を理由にミニバスケットボールクラブを引退している(学校では加害女児はコンピューター研究部に、被害女児は映画研究クラブにそれぞれ所属していた)。

この引退が加害女児にとっての「居場所」を奪い、孤立を深める原因の1つになったとされ、このころから女児はインターネットを唯一安心して自己を表現できる「居場所」にしたとされる。

加害女児の成績は中の上で、おとなしい普通の女子児童であったが、5年生の終わり頃から精神的に不安定になっていったと周囲の人々は語っている。

人と話すときに人の目を見なくなり、目を泳がせて落ち着かない素振りを見せることがしばしばあり、また些細なことで逆上し、罵詈雑言を吐いたり、カッターナイフを振り上げるようなこともあった。

ちょっかいを出してきた男子児童には笑顔を見せながらも追いかけ回して捕まえると殴ったり、蹴ったり、押し倒して体を踏みつけるなどの暴力を振るって、同級生が慌てて止めに入ると、「くそっ」と怒りをあらわにしたが、担任は特に深刻に捉えてはいなかった。

また同級生に対して、他の児童とともに集団いじめを行ったりすることもあった。

6年に入ってから暴力的な言行が増えていったという加害女児だが、担当の教師からの評判は「遅刻も少なく、授業中も率先して手をあげて質問する積極的な生徒」というものであった。

この時期の1月にウェブサイトを開き、『バトル・ロワイヤル』の同人小説を発表している。

学校で将来志望を小説家か漫画家と書いたことがあるという彼女は続編を予定していて、それは6年生のクラスと同じ人数の38人が殺し合いをするストーリーで、各キャラクターモデルや名が同級生に似ているといい、被害女児と同姓の登場人物も描かれており、物語の中で殺害されているという。

5月頃

加害者と被害者の他数人で回していた交換日記を巡ってトラブルが起きた。

加害者が使っていた表現を他の参加者が真似したところ、加害者がその表現の使用を禁止すると主張した、というようなものである。

この主張に対し、被害者が反論したことで、加害者と被害者の決裂は決定的なものになった。

このころから被害者が加害者の容姿や性格についての悪口を書き込んでいたとみられ、加害者は後の供述で「掲示板に嫌なことを書かれ、やめてほしいと言ったが、やめてもらえず、いやになった」と話した。

後の供述で、「事件数日前に『この世からいなくなってしまえ』と思った」と話しており、このころから殺意を覚えていたものとみられる。

5月下旬頃

遊びで被害女児が加害女児をおんぶしたとき、加害女児に「重い」と言い、加害女児は腹を立て「失礼しちゃうわ」と言った。

実際には加害女児はほっそりしていて、とても太っているとは言えず、加害女児は冗談を深刻に受け止めてしまったとみられる。

その後、被害女児は自分のウェブサイトに「言い方がぶりっ子だ」と書いた。

それを見た加害女児は、予め交換していたパスワードを使って被害女児のウェブサイトに侵入し、その記述を削除した。

しかしその後、再び同様の書き込みをされ、加害女児は被害女児に殺意を抱いた。

5月末

加害者は被害者のウェブサイトに侵入、中味を改ざんして、アバターをカボチャに変えた。

被害者がブログでウェブサイトが改ざんされたことを報告した。

加害者が再び被害者のウェブサイトに侵入、初期化。

被害者がブログでウェブサイトが初期化されたことを報告した。

被害女児は自分の掲示板が不正に書き換えられたことについて

チッマタカヨ。なんでアバターが無くなったりHPがもとにもどっちゃってるケド、ドーセアノ人がやっているんだろぅ。フフ。 アノ人もこりないねぇ。 (゜∀゜)ケケケ 荒らしにアッタんダ。マァ大体ダレがやってるかヮわかるケド。

心当たりがあるならでてくればイイし。 ほっとけばいいや。ネ。 ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイv じゃまた今度更新しようカナ。

と書いた。それを受けて加害女児は、被害女児のネット上のアバターを消去した。

ほかにも、被害女児を含めた同級生達と手書きの合作ノートを作っていたが、ここでも同時期に他の子とトラブルがあり、事件のわずか前に被害女児を通じて退会を求められていたという。

事件の経過

事件当日

2時間目の休み時間 被害者が交換日記を抜けたい旨のメモを友人に渡した。

午前中にこのメモが加害者に届けられた。

加害者は友人に、「なんなら全部やめちゃえば」と伝えた。

給食の準備が始まる 12時15分 – 35分

加害者が被害者を6年生の教室から北に約50メートル離れた学習ルームに「ちょっとおいで」と言って呼び出した。

そこでカーテンを閉めて椅子に座らせ、手で目を隠し背後から首と左手を切りつけた。

被害者は椅子から立ち上がり、両手を振って抵抗したが、加害者は何度も切りつけたという。手の甲の傷もこの際、付いたとみられる。

被害者が倒れた後、すぐには現場を離れず、教室に戻るまでの約15分間、手に付いた返り血をハンカチでふいたほか、被害者の顔をのぞき込んだり、体に触ったりして、動かないことを確認したという。

12時35分

「いただきます」の唱和時に、担任が加害者と被害者が教室にいないことに気づく。その直後、廊下から走る音が聞こえ、加害者が返り血を浴びた服のまま入口にたたずんでいた。

黙りこくる加害者の手にはカッターナイフと血で濡れたハンカチが握られていて、ズボンの裾は水に漬かったように濃さを増していた。

担任はすぐに加害者からカッターナイフを取り上げた。

当初、担任は加害者が怪我を負っているのだと思い、手を広げさせたが怪我はなかった。

担任が強い調子で加害者に事情を尋ねると、「私の血じゃない。私じゃない」と呟いた(「私じゃない…私じゃない!私じゃない!」と叫んだという証言もある)。

加害者は学習ルームの方向を指さした。

担任が現場に駆け付けると、被害者が倒れているのを視認した。

担任は「救急車!救急車!救急車!」と叫んで、被害者を抱きかかえながら止血を試みる。

叫び声を聞いた3年教室の教師が職員室へ駆け込み、教頭に報告した。

教頭は状況を理解できず、自ら現場に赴いた(教頭は現場へ向かう途中で加害者とすれ違っている)。

担任到着時には被害者はまだ息をしていた。

学習ルームには血が飛び散り、壁にも血が点々と付着していた。

入口付近には折れたカッターナイフの刃が落ちていた。

また、被害者の眼鏡が机の上に置かれていた。

12時43分

現場の惨状を目の当たりにした教頭は119番通報した。

教頭は動転のあまり市消防局指令課に状況をうまく説明できなかったが、学校から約4km離れた派出所から救急車が出動した。

ほぼ同時に、被害者の父親にも連絡を入れた。

被害者の父親はタクシーで学校に向かった。

12時50分

救急車が到着しないことに焦りを覚えた教頭が再び119番通報した。

教師らは各教室の扉とカーテンを閉め、凄惨な光景を遮断した。

12時51分

救急車が到着し、救急隊員が関係者から事情を聴いて回る。

救急隊員は病院への搬送を断念し、佐世保警察署に連絡した。

12時59分

被害者の父親が学校に到着した。

時間不明

加害者は教師らが学習ルームに集まっている間、廊下にたたずんでいた。

興奮状態のまま2階に下りようとしていた加害者を見つけた教師が彼女を落ち着かせようと階段に座らせたが、彼女が加害者だとは気づかなかった。

うつむいた加害者は泣きそうな顔つきで声を震わせて、独り言のように「救急車を呼んで。○○さん(被害者)が死んじゃう」と教師に告げた。

さらに「私、どうなっちゃうの…」と呟き、教師は彼女をなだめた。

教師は加害者を1階の保健室に連れていき、手を洗わせ、洋服を着替えさせた。足に付いた血は正面玄関わきの洗い場で洗い落とした。

「だれか詳しいことを知っている人はいませんか」と救急隊員が尋ねたところ、一人の教師が加害者を連れてきた。

隊員が被害者がなぜ怪我をしているのか尋ねると、「私がカッターで切りました」とあっさりと答えた。

警察は40分かけて校長室で事情聴取した。

加害者は

「土曜日に殺そうと準備して、(代休の)月曜日に殺そうとしたけれど、バレると思って今日にした」

「死ぬまで待って、バレないように教室に戻った」

「千枚通しで刺すか、首を絞めるか、迷ったけれど、もっと確実なカッターナイフにした」

「左手で、目隠しをして切った」と話した。

16時ごろ

6年生を除く全児童が集団下校した。

6年生は14時から、5か所に分かれて事情聴取を受けていた。

一人あたり15分程度だった。

18時ごろに調書が出来上がり、保護者の入場と6年生児童の下校が認められた。出張先から戻った校長が保護者に事態を説明した。

事件発生数時間後 加害者が佐世保警察署に車で移動。

19時ごろまで任意の事情聴取を受け、給食を食べていなかった彼女は軽食を食べた。

20時30分

警察が殺人事件だと発表。

21時ごろ

被害者の父親が記者会見を開いた。

22時30分

加害者は警察署内の女性職員休憩室で就寝。

6月2日

8時ごろ

加害者が起床、弁当を食べてから任意の事情聴取が再開。

午後

佐世保児童相談所の中村正則所長と長崎県教育委員会の立石曉教育長が記者会見を開いた。

「面談の印象でいうと、ごく普通の女の子。我々と会話もでき、ごく普通の家庭に育っている。このギャップに驚いています」と中村所長が切り出し、「事件当日は緊張と不安が残っていました。両手で顔を覆ったり、泣きながら話したり」と話した。

さらに「本人は問題なく育っている。成績もよく、頑張り屋だった」と両親からの聴取も踏まえて話した。

しかし、少女の印象について「思ったことを、うまく表現できていない子。困ってもはっきり『ノー』ともいえないような感じです」とも付け加えた。

6月3日

接見では、「家族や友だちで、だれか相談できる人はいなかったの」という弁護士の問いに対し、「ひとりで悩んで、ひとりで考えていた」と答えた。

「あなたは自分のことをどう思うの」という問いには、「自分は中間」と、はにかみながら答えた。

どのように中間なのか掘り下げると、「いろいろな意味で」と答えた。

加害者は事件について弁護士に、「なんでやったのかな。よく考えて行動すればこんなことにならなかった」と答えた。

その一方で、警察による事情聴取では「数日前から殺害方法を考えていた」とも話していた。

「○○さん(被害者)にはどんな気持ちなの」という問いには、「会って謝りたい」と答えた。

「あなた自身はこれからどういう人生を送りたいの」という問いには、「…普通に暮らせればいいんだけれど」と答えた。

迫弁護士は加害者の印象について、「非常に幼いな、と。小学6年生なのに、見たところ小学4年生ぐらいの印象を受けた。この子があんなことを、と非常に意外な感じをもった」とコメント。

川添弁護士も「幼いという印象は、確かに私にもあった。背もそれほど高くないし、表情も幼い。ただ、付添人の選任届にサインしてもらった字は、しっかりした字を書いていたので、その意味では表情ほど幼くないのかもしれない」とコメントした。

加害者は自分の両親について、「お父さんとお母さんに迷惑をかけた。謝りたい」と話した。

弁護士は精神鑑定は不要で、全く正常に見えたとコメントした。

6月4日 16時ごろ

加害者は鑑別所で両親と面会した。「元気にしているか」と父親が尋ねると、加害者は小さくうなずいた。

彼女は終始うつむいており、母親は涙を流していた。

父親が「毎晩手を合わせて拝むんだよ」と言い聞かせ、面会は終了した。

6月7日 19時ごろ

佐世保市役所で被害者の父親の代理人が記者会見を開き遺族の手記を発表した。

遺族の手記

さっちゃん。今どこにいるんだ。
母さんには、もう会えたかい。
どこで遊んでいるんだい。
さっちゃん。さとみ。
思い出さなきゃ、泣かなきゃ、とすると、
喉仏(のどぼとけ)が飛び出しそうになる。
お腹(なか)の中で熱いボールがゴロゴロ回る。
気がついたら歯をかみしめている。
言葉がうまくしゃべれなくなる。
何も考えられなくなる。
もう嫌だ。
母さんが死んだ後も、父さんはおかしくなったけれど。
それ以上おかしくなるのか。
あの日。
さっちゃんを学校に送り出した時の言葉が最後だったね。
洗濯物を洗濯機から取り出していた父さんの横を、
風のように走っていった、さっちゃん。
顔は見てないけど、確か、
左手に給食当番が着る服を入れた
白い袋を持っていたのは覚えている。
「体操服は要らないのか」
「イラナーイ」
「忘れ物ないなー」
「ナーイ」
うちの、いつもの、朝のやりとりだったね。
5人で、いろんな所に遊びに行ったね。
東京ディズニーランドでのことは今でも忘れない。
シンデレラ城に入ってすぐ、泣き出したから
父さんと二人で先に外に出たよな。
父さんは最後まで行きたかったのに。
なんてね。
でも、本当にさっちゃんは、すぐに友達ができたよな。
これはもう、父さんにはできないこと。
母さん譲りの才能だった。
だから、だから、父さんは勝手に安心していた。
いや、安心したかった。
転校後のさっちゃんを見て。
母さんがいなくなった寂しさで、
何かの拍子に落ち込む父さんは、
弱音を吐いてばかりだった。
「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」
「くよくよしたって仕方ないじゃない」。
何度言われたことか。
それと、家事をしないことに爆発した。
ひどい父さんだな。許してくれ。
家の中には、さっちゃん愛用の
マグカップ、ご飯とおつゆの茶碗(ちゃわん)、
箸(はし)、他にもたくさん、ある。
でも、さっちゃんはいない。
ふと我に返ると、時間が過ぎている。
俺は今、一体何をしているんだ、
としばらく考え込む。
いつもなら今日の晩飯何にしようか、
と考えているはずなのに、何もしていない。
ニコニコしながら「今日の晩御飯なあに」
と聞いてくるさっちゃんは、いない。
なぜ「いない」のか。
それが「分からない」。
新聞やテレビのニュースに父さんや、
さっちゃんの名前が出ている。
それが、なぜ出ているのか、
飲み込めない。
頭が回らないっていうことは、
こういうことなのか。
さっちゃんがいないことを受け止められないってことは、
こういうことなのか。
これを書いている時は冷静なつもりだけど、
書き終えたら元に戻るんだろうな、と思う。
さっちゃん。ごめんな。
もう家の事はしなくていいから。
遊んでいいよ、遊んで。
お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから。

 2004年6月7日
 御手洗 恭二
(毎日新聞 2004年6月7日 21時15分)

政治家による発言

2004年6月4日

当時の内閣府特命担当大臣(防災)井上喜一が、本事件について「元気な女性が多くなってきたということですかな」などの発言を行った。

この発言を受けて、当時の財務大臣谷垣禎一が、6月5日に岡山市で行った講演で、「弁護するわけではないが、私の若い頃は、放火は女性の犯罪。もちろん男もあるが、どちらかというと女の犯罪。カッターナイフで切るのは原則的に大人の男の犯罪」と述べ、共に不適切な発言として批判された。

6月10日、井上は発言を撤回した。

6月14日

長崎少年鑑別所で出張審判が開かれた。

この日は精神鑑定の実施を決めて閉廷した。

家庭裁判所が決めた鑑定留置期間は8月14日までの61日間であった。

6月23日

付添人が精神鑑定中の加害者の様子などについて発表した。

加害者の両親が遺族へあてた手紙を読み聞かせた際、加害者は大粒の涙を流し「どのように謝っていいのか」と話していたことを明らかにした。

7月20日

学校でお別れ会が開かれた。

8月24日

少年審判の意見陳述が行われた。

また、鑑定留置期間が1か月延長され、9月14日までとなった。

9月15日 10時30分

長崎家庭裁判所佐世保支部201号法廷で最後の少年審判が開かれた。

長崎家庭裁判所は、3か月におよぶ、少年事件では異例の精神鑑定を踏まえて、加害女児に対して最長で2年間までの行動の自由を制限する措置を認めた上で、国立の児童自立支援施設である国立きぬ川学院(栃木県さくら市)への送致を決定した。

国立きぬ川学院

発達障害

加害女児は事件後、収容先の自立支援施設で発達障害(広汎性発達障害・アスペルガー症候群)と診断されている。

一方で、昭和大学医学部精神医学講座主任教授・岩波明医師は、加害女児に下された発達障害の診断は誤診だと指摘している。

加害女児には被害者を含めた同年代の友人がおり、交換日記やウェブチャットなどで仲間とも交流していたことから、岩波医師は「アスペルガー症候群の『対人関係の障害』の診断基準を満たす特徴は見いだせない」としている。

発達障害の特性が非行に直結するとは断言できないが、昭和大学教授の加藤進昌はアスペルガー障害が犯罪に直結するというような理解は誤りだと前置きした上で、いくつかの動機が理解しがたい「突き抜けた」犯罪で、その障害特性との関連が注目されるとしている。

神戸連続児童殺傷事件、豊川市主婦殺人事件、長崎男児誘拐殺人事件、そして佐世保女子高生殺害事件の犯人もアスペルガー症候群ないしは自閉症スペクトラム障害を持っていたとされる。

9月16日 9時50分

両親と付添人3人が長崎少年鑑別所を訪れて加害者と面会した。

午後

加害者と4人の職員を乗せた車が午後に同鑑別所を出発した。

長崎空港からANA668便に搭乗、18時に羽田空港に到着した。

移送時、一般搭乗開始前に機体最後尾から搭乗した。

羽田空港からは陸路で国立きぬ川学院へ移動し、21時18分に到着した。

2005年3月

国立きぬ川学院送致後の女児は、問題を起こすことも反抗的態度を見せることもなかったという。

加害者が小学校を卒業

2008年

加害者が児童自立支援施設内の中学校を卒業し退所。

社会復帰した。

2020年 10月10日現在

彼女は27歳である。

被害者

兄は「もし彼女が謝罪に来るのなら、会うのが怖いという感情は僕にはない。きちんと会うべきだと思う。僕も相手も、対等な関係で。自分のしたことを全く理解できていない当時に謝られても、どう思えばいいか分からないけれど、自分がやったことが分かっているはずの今、きちんと謝ってほしい。その方が、スッキリする。逆に、施設から出た後に、会わせられる状態にないというのなら、それは国が再教育に失敗したんだってぐらいに僕は思っています」とコメントしている。

被害女児の父親の直属の部下であった川名壮志(毎日新聞記者)は、被害女児の兄の言葉を引用して『謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件』(新潮文庫・集英社)というタイトルの書籍を著している。