【大牟田4人殺害事件】一家全員が死刑判決を受けた、類をみない最後。なぜ全員が犯罪で団結したのか
- 2024.10.02
- 日本の事件
事件概要
| 発生日時 | 2004年(平成16年)9月16日 2004年(平成16年)9月18日 |
| 発生場所 | 福岡県大牟田市 |
| 内容 | 暴力団「北村組」を率いる北村家 (父、母、長男、次男)の家族4人で、 知人母子3人と息子の友人の計4人を殺害 |
| 被害者 | ①闇金業者の高見小夜子さん(当時58歳) ②長男の高見龍幸さん(当時18歳) ③次男の高見穣吏さん(当時15歳) ④友人の原純一さん(当時17歳) |
| 犯人 | 父) 北村実雄(事件当時60歳) 母) 真美 (事件当時45歳) 長男)孝 (事件当時23歳)※真美の連れ子 次男)孝紘 (事件当時20歳) |
この事件では、強盗殺人の罪などに問われ、北村家一家全員、死刑が確定している。
事件の相関図

北村家について

父親の北村実雄
構成員10人未満の小規模な組である、指定暴力団道仁会村上一家「北村組」の組長だった。

母親の真美
父親から引き継いで営んでいた建設業などによって家計を切り盛りするとともに、組の組の姐さんという立場で資金面の管理を担当していた。

長男の孝
長男とは異父兄弟で、組員。
中学卒業後に力士養成員として相撲部屋に入門したものの、早々に引退。
2000年(平成12年)に傷害致死事件を起こし、懲役3年6月の実刑判決を受けた前科あり。

次男の孝紘
真美の連れ後であり、組員。
2000年4月25日の大相撲新弟子検査に合格した。
四股名は「三池山」
2001年11月の九州場所を最後に引退。
女将は事件当時『毎日新聞』の取材に対し「上下関係・けいこの厳しさに耐えられずに辞めたのだろう。引き留めなかった」と語った。
薬物犯罪などで中等少年院に入院していた時期がある。
事件の経緯
被害者の高見小夜子さんは、北村一家と事件から10年前の1994年頃に知り合い、家族ぐるみで付き合う仲になる。
高見小夜子さんは闇金融業を営んでおり、北村組の次男(孝紘)らがその取り立てを代行し一定の報酬を受け取るという利害関係でもつながっていた。
しかし、北村一家はこの取り立ての報酬額に不満を持ち、着服するなどし、1994年9月上旬に高見小夜子さんとの間にトラブルもあった。
さらに高見小夜子さんから借金をしており、2004年9月の時点で借金の総額は約6600万円に達し、生活費や暴力団の上部団体に支払う上納金などの支払いに窮していた。
長男(孝)は、両親を出し抜いて高見小夜子さんの金を手に入れようと考え、弟(孝紘)を誘って高見家への強盗を計画。
2004年9月16日の22時過ぎ
高見小夜子さん宅に到着
その時家に1人でいた、高見小夜子さんの次男・高見穣吏さん(当時15歳)は、
弟(孝紘)の知人でもあったため、遊びに来たフリをして自宅内に入り、隙をついて穣吏さんの首を紐状にしたタオルで絞めた。
穣吏さんはその後2度目を覚ますが、弟(孝紘)はその度に再度首を絞めて殺害。
貴金属(399万円程)を盗み出す。
遺体を自宅から車で4、5分のところを流れる諏訪川へと車のトランクに乗せて運び、コンクリートブロックを重りとしてくくりつけて、「馬沖橋」から諏訪川に投げ込んだ。
死因は窒息死とされている。
2004年9月17日
高見小夜子さんは16日の夜から行方不明になった弟の穣吏さんを探していた。
母(北村真美)は穣吏さんを一緒に探すと言い、小夜子さんを北村組事務所へと連行。
母(真美)と、父(実雄)は、小夜子さんを殺害する踏ん切りがつかずに、長男(孝)に電話で助けを求めた。
助けを求められた長男(孝)は、弟(孝紘)に殺害を実行させようと提案する。
母(真美)は小夜子さんに「穣吏さんを探す前に食事をしておこう」と、睡眠薬入りの弁当を食べさせて昏倒させた。この睡眠薬入りの弁当は、長男(孝)が弟(孝紘)に用意させた。
北村一家4人は、高見小夜子さんを眠らせた横で、どのように殺害するか・誰が実行役になるかをしばらく話し合っていたという。
2004年9月18日0時頃
一家4人は、意識朦朧状態の高見小夜子さんをワゴンタイプの車に乗せて大牟田港岸壁に連行。
2004年9月18日0時30分頃
弟(孝紘)が、助手席に座らせた高見小夜子さんを後部座席からワイヤー錠で首を絞めるようにして殺害。高見小夜子さんのバッグから現金24万円を奪う。
2004年9月18日午前1時35分頃
一旦自宅へ戻る。
2004年9月18日午前2時頃
高見小夜子さんの長男である高見龍幸さんを待ち伏せるために、高見さん宅へ向かう。
ちょうど龍幸さんの運転する軽自動車が帰宅。
龍幸さんと友人関係である弟(孝紘)が、手を振って停車させ、怪しまれないように声をかけた。
しかしその時、助手席に友人の原純一さんが乗っていたため2人とも殺害する事を決意。
弟(孝紘)は、「これから一緒に行方不明になっていた穣吏さんを探そう」と騙し、
龍幸さんと原純一さんを龍幸さんの軽自動車の後部座席に移らせた。
運転席に兄(孝)、助手席に弟(孝紘)が乗り込む。
この時、密かに後部ドアのチャイルドロックをかけて逃走されないようにしてる。
2004年9月18日2時15分頃
大牟田川の河口付近岸壁で停車。
弟(孝紘)は、父(実雄)から預かっていた小型拳銃を取り出し、「これはモデルガンで、音は出るが弾は出ない。見せてやる」などと言って原純一さんに頭を出させ、左のこめかみあたりに銃を突きつけて発砲。
続けて龍幸さんに向かって、「高見小夜子も穣吏も俺が殺した、お前の家に2000万円あるはずだ、どこにある?」と尋ねるも、龍幸さんが「知らない」と答えると、弟(孝紘)は「悪いけどお前も殺す事になっている、頭を出せ」と言い、龍幸さんの左こめかみに銃口を押し当てて発砲。
この際、被害者の2人はまだ息があったため、2人の胸に2発ずつ発砲。
龍幸さんを殺害。
原純一さんはさらにアイスピックで心臓を刺し殺害。
北村一家はその後、高見小夜子さんの遺体を軽自動車の方に移し、3人の遺体を乗せたまま
父(実雄)の運転で、高見穣吏さんの遺体を捨てた諏訪川馬沖橋付近の堤防へと移動。
2004年9月18日2時40分から50分頃
軽自動車ごと3人の遺体を川の中に遺棄。
3人を殺害後
遺棄した後、高見小夜子さんの家に侵入して現金を探したが、目当ての大金を手に入れる事はできなかった。この時、高見小夜子さんの家で飼われていた犬が北村一家によって蹴り殺されている。
遺体発見と逮捕
2004年9月21日午前10時頃
死体遺棄現場から下流10mほどの諏訪川に浮いている高見穣吏さんの遺体が発見される。
2004年9月22日午前1時
高見穣吏さん死体遺棄の容疑で母(真美)を逮捕。
4人の殺害を供述。
2004年9月22日午前9時頃
父(実雄)が「妻が逮捕された理由を知りたい」と言って大牟田署に訪れている。
2004年9月22日午前10時16分
父(実雄)は、捜査員から事情を聞いている最中に突然拳銃を取り出し、銃口を自身のこめかみに当てて発砲して自殺を図ったが、病院に運ばれて一命を取り留めた。
2004年9月23日の夜
高見小夜子さん、龍幸さん、原純一さんの遺体も車ごと引き上げられて発見。
2004年9月23日の深夜
弟(孝紘)逮捕。
2004年10月2日
兄(孝)逮捕。
2004年10月7日
父(実雄)逮捕。
全員死刑
一家はいずれも強盗殺人・殺人・死体遺棄などの罪に問われ、
2011年(平成23年)に最高裁で死刑判決が確定した。
書籍化
弟(孝紘)は獄中で犯罪の一部始終を記した手記を送り、暴力団取材に定評のあるライターの鈴木智彦氏が受け取った。
鈴木氏は手記を読み、本人に面会。
その体験を『我が一家全員死刑』というタイトルで書籍化した。

2017には映画化もされている。
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