【鬼畜父】栃木実父殺し事件 違憲判決で娘を救った人情裁判【尊属殺人】

【鬼畜父】栃木実父殺し事件 違憲判決で娘を救った人情裁判【尊属殺人】

事件概要

発生日時1968(昭和43)年10月5日
発生場所栃木県宇都宮市
内容実父 相沢武雄(当時53歳)から性的虐待を受けていた娘(当時29歳)が
実父を絞殺した
被害者実父(当時53歳)
犯人娘 相沢チヨ(当時29歳)
判決懲役2年6カ月 執行猶予3年
記事内では実父を父、娘をチヨと表記する

この事件は実父を殺害しているので刑法第200条の尊属殺人となるはずだったが、200条は違憲だとする判決となり199条が適用された。

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刑法第200条とは

(尊属殺人)第200条
自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス

自分または配偶者の父母や祖父母、養父母など直系尊属を殺害すると死刑無期懲役のいずれかの判決となる。
有期刑や執行猶予はない。

刑法第199条とは

(殺人)第199条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の拘禁刑に処する。

殺人をしたら、死刑無期懲役5年以上の刑となる。執行猶予が付く場合もある。

事件が起こるまでの経緯

昭和28年
チヨが中学2年生(14歳)の時、父に性的暴行を受けた。
家族構成は、父・母・チヨを含む7人兄弟の9人家族だった。

この日から「母親に言ってはいけない」と口止めをされながら暴行を受ける日々が続く。
そして1年後、耐えきれなくなったチヨは母親に相談。

母親は怒り、父を責め立てた。
すると父は刃物を持ち出して暴れた。

「自分の娘を自由にしてどこが悪い!」といい、母を殴った。
母親はチヨを親戚宅に逃げさせるなど画策したが失敗し何度も連れ戻される。

昭和31年
チヨ17歳
母親が兄弟をつれて家出。
父・チヨ・妹の3人の生活が始まった。

そしてチヨは17歳で父の子ども子(恵子)を生んだのを始めとして、相次いで五人の子供を出産した。
そのうち2名は生後死亡している。

恵子が生まれてからは父の元から逃げるのを断念したこともあり、夫婦のような生活を強いられていた。

その後5回の出産のほか、妊娠中絶を6回も繰り返しているにもかかわらず、父は避妊を許さなかった。

昭和39年8月
チヨ25歳
生計のために印刷所で働きだす。
社会的視野を広くし、自身の青春を犠牲にした身の不幸を痛感する事となる。

昭和42年頃
チヨ28歳
印刷所で働く22歳の男性、郡司さんと出会う。
やがて相思の仲となる。
昭和43年9月中旬頃
チヨ29歳
年令の差を超えてチヨと郡司さんは結婚を約束した。

父へ結婚を打ち明け

昭和43年9月25日夜
チヨ29歳
父に「今からでも私を嫁にもらつてくれるという人があったら、やってくれるかい」と聞くと、「お前が幸せになれるなら嫁つてもよい」と答えた。
しかしチヨが結婚相手である郡司さんの存在を話すと豹変。
「若い男ができたというので出て行くんだら出て行け、お前らが幸せになれないようにしてやる、一生苦しめてやる」
「今から相手の家に行つて話をつけてくる、ぶつ殺してやる」などと怒鳴り出した。
チヨは父を恐れ、「勤めをやめて家に居るから」となだめて就寝させた。

父の監視と暴行

父は近所への日常の用事以外でチヨが外出、出勤する事を許さなくなった。
そして自分も仕事を休み、チヨの行動を監視するようになった。
在宅中は連日のように昼間からでも飲酒しては結婚反対の脅迫的な事を言いチヨを脅した。
夜は疲労に苦しむチヨに対し性交を求め安眠を妨害した。

子どもを手にかけると脅し

昭和43年10月5日午後9時30分頃
チヨ29歳
父はチヨとの口論の際
「男と出て行くのなら出て行け、何処までも呪ってやる」
「この売女、出て行くんなら出てけ、何処までも追って行くからな」
「俺は頭にきているんだ、三人の子供は始末してやる。おめえはどこまでも呪い殺してやる」などと喚いた。

チヨはこのままでは世間並みの結婚をすることも到底不可能であると感じた。
そして窮境から脱出して自分の自由を得るためには、父親である武雄を殺害するよりほかに術はないと思い至り、枕元にあった股引の紐で父の首を絞め殺害した。

尊属殺人で死刑か無期懲役

直系尊属である父親を殺害した場合は死刑か無期懲役のどちらかになるが、弁護士である大貫大八は本件の異常さ・悲惨さを裁判官や傍聴者に伝えるべく、事件の詳細をできるだけ細かく語るようチヨに頼みかけた。
生い立ちから始まり、父親から初めて関係を迫られた日のことなど、事件に至るまでの経緯をチヨが語るうち、本人の目からも自然と涙がこぼれた。法廷は水を打ったように静まり返ったという。

刑法200条の違憲判決

尊属殺人の200条は死刑または無期懲役のみに限っている点において、加重の程度が極端であり、著しく不合理な差別的取扱いをするものであるとされ違憲判決がでた。

そして199条が適用され懲役3年6カ月執行猶予3年の判決となった。

報酬はカバン一杯のジャガイモ

弁護士の大貫大八はガンで死亡し、最高裁からは養子である大貫正一が引き継いだ。
報酬はカバン一杯のジャガイモだった。
大貫はインタビューにこう答えている。

「貧しいお家だったから、お金なんて取れないですよ。ジャガイモはちゃんと美味しくいただきましたよ」
「オヤジも私もこらあえらい事件だと思った。これが実刑になったら大変だ。だって、可哀想じゃないか……実刑を逃れるには、200条を憲法違反にして無効にするしかない、と。合憲判決は高く厚く積み上がってましたからね、大きな挑戦でした」

事件を忘れて自分の人生を

大貫弁護士の元には、確定判決後もチヨからの連絡が届いていたが、大貫は「もう年賀状を出すのはやめなさい。年賀状を私宛に書くたびに、あなたは事件のことを思い出している。わたしごと忘れてあなたの人生を生きなさい」と返事を出した。

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