地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件

1995年(平成7年)3月20日

東京都で発生した同時多発テロ事件。

事件の正式名称: 地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件

(ちかてつえきこうないどくぶつしようたすうさつじんじけん)。

世界でも稀に見る大都市圏での化学兵器を利用した無差別テロ事件。

宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。

毎日新聞では、

坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件を

オウム3大事件』と表現している。

死傷者数で見ると現在日本最悪の大量殺人事件である。

概説

事件当日

1995年(平成7年)3月20日午前8時ごろ平日朝のラッシュアワーのピーク時

東京都内の現在の東京メトロ、丸ノ内線、日比谷線、千代田線の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガス・サリンが散布され、乗客や駅員ら14人が死亡、負傷者数は約6,300人とされる。

これは村井秀夫と井上嘉浩が乗客数及び官公庁の通勤のピークが8時10分頃であると考えたためである。

各実行犯は500-600gの溶液の袋詰めを2つ、

林泰男だけは3つ運び、犯人は各々に命じられた列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた傘を使い、袋を数回突いて下車。

それぞれの犯人が共犯者の用意した自動車で逃走した。

計画

迫る強制捜査と生物兵器テロ未遂

首謀:麻原彰晃こと松本智津夫

自ら設立した宗教団体であるオウム真理教内において、専門知識があり、また自らに対して従順な人材を複数配下に置き、日本を転覆させようと様々な兵器を開発する中でサリンにも着目した。

サリン生成:土谷正実・遠藤誠一・中川智正

総括指揮:村井

現場調整役:井上

池田大作サリン襲撃未遂事件滝本太郎弁護士サリン襲撃事件といった事件を引き起こし、松本サリン事件では遂に死者が発生した。

その頃、サリン70t製造を目指してサリンプラント計画が進行していたが、

1994年7月、異臭騒ぎを起こし周辺の土壌を汚染していたため、

1995年1月1日、読売新聞朝刊が「上九一色村でのサリン残留物検出」をスクープ。このスクープによりオウムはサリンを処分し建設中のサリンプラントを神殿と偽装した。

この時、中川智正がサリンの中間物質メチルホスホン酸ジフロライドを密かに保管し地下鉄サリン事件で使われた。

1994年11月頃、オウム内部では薬品の購入ルートが調査され強制捜査があるとの噂が流れていた。この噂は東京の現職警官信者からの情報である。

この情報により麻原は遠藤誠一が研究していたボツリヌストキシンの効果実験を行うよう指示。

地下鉄サリン事件5日前の3月15日

営団地下鉄霞ケ関駅の警視庁・警察庁の職員たちが利用する「A2」出入口構内にボツリヌストキシンを噴霧するよう東急ハンズで買ってきた液体噴霧器「六法煙書」を仕込んだ改造アタッシェケースを3つ放置。

水蒸気が出るだけで失敗した。

実行役は井上嘉浩、山形明、高橋克也

井上らは科学技術省の改造したアタッシェケースではどうせ失敗すると思っていたという。

遠藤は裁判で毒が完成していないのにやらされたとしている。

リムジン謀議

地下鉄サリン事件2日前の3月18日午前0時、

都内のオウム経営飲食店で正悟師昇格祝賀会が行われた際に

祝賀会中に麻原は幹部に対し、

「エックス・デーが来るみたいだぞ。」と強制操作の話題を出している。

祝賀会終了後の18日未明、上九一色村に帰る麻原ら幹部(麻原、村井秀夫・遠藤誠一・井上嘉浩・青山吉伸・石川公一)を乗せたリムジンにおいて、強制捜査への対応が協議された(リムジン謀議。車中謀議とも)。

麻原発言:

今年の1月に阪神・淡路大震災があったから、強制捜査がなかった。回もアタッシェが成功していたら強制捜査はなかったかな。

井上発言:

ボツリヌス菌ではなくサリンならばよかったのでは

村井:

地下鉄にサリンを撒くことを提案

麻原はこの提案に同意した。

総指揮は村井、現場指揮は井上が担当となった。

村井は実行役として林泰男、広瀬健一、横山真人、豊田亨を推薦し、

麻原が林郁夫も加えた。

また、反オウムの者による犯行に見せかけるために

同教団に好意的とされた宗教学者の島田裕巳宅爆弾事件を起こし、

さらにオウム真理教東京総本部火炎瓶事件を実行し、

事件は反オウムの者によるオウム潰しの陰謀と思わせて同情を集めることも計画された。

石川公一も自分の足を狙撃して自作自演事件を起こしたらどうかと志願したが、麻原はそこまでしなくていいとして止めた。

実行役・運転手役

  • 3月18日
    • 午前4時頃 – 麻原ら上九一色村到着
    • 午前8時or9時頃 – 村井秀夫は先の実行役らを第6サティアンに集め「君たちにやってもらいたいことがある。これは(上を見る)……からだからね」と麻原の指示であることを暗示した上で、「近く強制捜査がある。騒ぎを起こして強制捜査の矛先をそらすために地下鉄にサリンをまく。嫌だったら断ってもいいんだよ。」「前にアタッシェケースに仕込んだ噴霧器を地下鉄の構内に置いたことがあった。それからすると、密閉した空間でないと余り効果が出ない。それで、今度は車内に撒く」「3月20日月曜日の通勤時間帯に合わせてやる。対象は、公安警察、検察、裁判所に勤務する者であり、これらの者は霞ケ関駅で降りる。実行役のそれぞれが霞ヶ関駅に集まっている違う路線に乗って霞ヶ関駅の少し手前の駅でサリンを発散させて逃げれば、密閉空間である電車の中にサリンが充満して霞ヶ関駅で降りるべき人はそれで死ぬだろう。」と犯行を指示
    • 夕方 – 村井秀夫・井上嘉浩・実行役5人は第6サティアンで地下鉄のガイドマップなどを参考に散布場所と時間を計画策定。運転手役の必要性が論じられる
  • 3月19日
    • 午前9時頃 – 実行役5人+杉本繁郎(5人の送迎を担当)、上九から杉並区今川アジトへ出発
    • 正午頃 – 実行役5人+杉本繁郎と、当初運転手役を指名されていた平田信らは新宿のタイ料理店で食事、デパートで変装用の眼鏡・かつら・スーツなどを購入。その後在家信者に依頼し犯行用の車を借りる
    • 午後1時頃 – 村井秀夫・井上嘉浩は第6サティアン1階の麻原の部屋に行き人選について指示を仰ぐ。麻原は準備が進まないことに対して、やる気が無いなら中止しろと叱責。新実智光・北村浩一・外崎清隆・高橋克也と既に東京にいる杉本繁郎が運転手役と決まり、4人は渋谷アジトに出発。また、井上嘉浩も東京へ向け出発
    • 午後7時25分頃 – 井上嘉浩ら、島田裕巳宅爆弾事件実行
    • 午後8時頃 – 井上嘉浩、今川アジトを訪れ実行役5人及び杉本に渋谷アジトへの移動を指示
    • 午後8時45分頃 – 井上嘉浩ら、東京総本部火炎瓶事件実行
    • 午後9時頃 – 実行役・運転手役全員と井上嘉浩は渋谷アジトに集結。林郁夫がPAMなどの解毒剤を配布
    • 午後10時30分頃 – 全員は駅を下見、井上嘉浩は霞ヶ関駅到着時に警視庁の出口に近い車両を選ぶよう指示

製造役

  • 3月18日
    • 夕方 – 中川智正が上述のジフロを遠藤誠一に提供。土谷正実も加わりサリン生成の方法を探る。遠藤、松本サリン事件を思い出しやる気を無くす
    • 午後11時頃 – 村井秀夫と遠藤誠一は第6サティアン1階の麻原の部屋を訪れ、麻原は遠藤に「ジーヴァカ、サリン造れよ。」と発言
  • 3月19日
    • 昼前 – 遠藤誠一、麻原や村井秀夫から「早くやれ。今日中に造ってくれ」と催促される
    • 夕方 – 土谷正実のクシティガルバ棟は排気設備を撤去していたため、遠藤誠一のジーヴァカ棟でサリン合成開始
    • 午後10時30分頃サリン完成。遠藤は「できたみたいです。ただし、まだ純粋な形ではなく、混合物です。」と純度が低い(35%程度)こと、1日あれば純度が高められることを報告したが、麻原は「ジーヴァカ、いいよ、それで。それ以上やらなくていいから。」とこのまま使うこととなった。村井と麻原が検討した結果、サリン袋を傘で突くという方法も決定される

犯行

  • 3月20日
    • 午前0時頃 – 井上嘉浩、サリン到着が遅いため井上が独断で東京から上九に向け出発し連絡不能に。上九で麻原に怒られる
    • 午前2時頃 – 麻原は実行役に渋谷アジトから上九への帰還を指示。また、サリン袋に触れ修法(エネルギーを吹き込む儀式)を行う。先に井上が上九に到着するが、独断での出発を叱責される
    • 午前2時30分頃 – 井上がコンビニからビニール傘7本を購入。滝澤和義がグラインダーで傘先を削る
    • 午前3時頃 – 実行役5人と運転手杉本繁郎・外崎清隆、第7サティアンに到着。村井秀夫にサリンを撒く方法を教わり水で練習、その後サリン袋を受け取る
    • 午前5時頃 – 実行役5人と杉本繁郎・外崎清隆、渋谷アジトに再移動[7]

千代田線(我孫子発代々木上原行)

マスク姿の林郁夫は千駄木駅より入場し、綾瀬駅と北千住駅で時間を潰した後、先頭1号車(クハ202-107)に北千住駅(7時48分発)から乗車した。

8時2分頃、新御茶ノ水駅への停車直前にサリンのパックを傘で刺し、逃走した。穴が開いたのは1袋のみであった。

列車はそのまま走行し、二重橋前駅 – 日比谷駅間で乗客数人が相次いで倒れたのを境に次々に被害者が発生し、霞ケ関駅で通報で駅員が駆け付け、サリンを排除した。

当該列車は霞ケ関駅を発車したが更に被害者が増えたことから次の国会議事堂前駅で運転を打ち切った。

サリンが入っているとは知らずにパックを除去しようとした駅員数名が被害を受け、うち駅の助役と応援の電車区の助役の2人が死亡し、231人が重症を負った。

丸ノ内線(池袋発荻窪行)

丸ノ内線の池袋発荻窪行き(列車番号A777)は、散布役を広瀬健一、送迎役を北村浩一が担当した。

広瀬は2号車 (02-216) に始発の池袋駅(7時47分発)から乗車し、茗荷谷駅か後楽園駅停車時に3号車(02-316)に移動、ドアに向かって立ち、御茶ノ水駅到着時サリンを散布した。

中野坂上駅で乗客から通報を受けた駅員が重症者を搬出し、サリンを回収したが、列車はそのまま運行を継続し終点荻窪駅に到着。

新しい乗客が乗り込みそのまま折り返したため、新高円寺駅で運行が停止されるまで被害者が増え続けることとなった。

また、広瀬自身もサリンの影響を受け、林郁夫によって治療を受けた。この電車では1人が死亡し、358人が重症を負っている(2020年、後遺症により更に1人死亡した)。

丸ノ内線(荻窪発池袋行)

丸ノ内線の荻窪発池袋行き(列車番号B701)は散布役を横山真人、送迎役を外崎清隆が担当した。

横山は5号車 (02-550) に新宿駅(7時39分発)から乗車し、高架駅である四ツ谷駅進入時にパックに穴を開けサリンを散布した。

穴が開いたのは1袋のみであった。

列車は8時30分に終点池袋駅に到着。

その際、本来ならば駅員によって車内の遺留物の確認が行われるが、どういうわけかこの時は行われず、折り返し池袋発荻窪行き(列車番号A801)として出発した。

本郷三丁目駅で駅員がサリンのパックをモップで掃除したが、運行はそのまま継続され、荻窪駅到着後に再び荻窪発池袋行き(列車番号B901)として池袋駅に戻った。

列車は新宿駅に向け運行を継続した。

列車はサリン散布の1時間40分後、9時27分に国会議事堂前駅で運行を中止した。同線では約200人が重症を負ったが、この電車は唯一死者が出なかった。

日比谷線(中目黒発東武動物公園行)

日比谷線の中目黒発東武動物公園行きは、散布役を豊田亨、送迎役を高橋克也が担当した。

豊田は先頭車両 (28811) に始発の中目黒駅(7時59分発)から乗車し、ドア付近に着席、恵比寿駅進入時サリンのパックを刺した(ニュースやワイドショーなどで、当該車両のドア脇に転がったサリンのパックが撮影された写真が用いられている)。

六本木駅 – 神谷町駅間で異臭に気付いた乗客が窓を開けたが複数の乗客が倒れた。

神谷町駅に到着後、乗客が運転士に通報し、被害者は病院に搬送された。

その後、後続列車が六本木駅を出たため、先頭車両の乗客は後方に移動させられ、列車は隣の霞ケ関駅まで走行したのち、運行を取り止めた。

この電車では1人が死亡し、532人が重症を負っている(後に、事件翌日に心筋梗塞で死亡した1人についても、サリン中毒死と認定された)。

サリンの撒かれた車両には映画プロデューサーのさかはらあつしも乗り合わせていた。

また当時共同通信社社員の辺見庸が神谷町駅構内におり、外国人1人を救出した。

日比谷線(北千住発中目黒行)

日比谷線の北千住発中目黒行き(列車番号A720S)は、散布役を林泰男、送迎役を杉本繁郎が担当した。

他の実行犯がサリン2パックを携帯したのに対し、林泰男は3パックを携帯した。また、3パックの内1パックが破損し、二重層のパックの内袋から外袋内にサリンが染み出ていた。

彼は北千住7時43分発中目黒行きの3号車に上野駅から乗車した。

そして、秋葉原駅で実行犯のうち最も多くの穴を開けサリンを散布した。

乗客はすぐにサリンの影響を受け、次の小伝馬町駅で乗客がサリンのパックをプラットホームに蹴り出した。

この状況下で一般乗客のとっさの判断を責められるものではないが、後にサリンによる被害が拡大することになってしまった。

サリンのパックを小伝馬町駅で蹴り出した当該列車は、サリンの液体が車両の床に残ったまま運行を継続したが、5分後八丁堀駅停車中に再度パニックに陥り、複数の乗客が前後の車両に避難し始めた。

8時10分に乗客が車内非常通報装置を押すと列車は築地駅で停車し、ドアが開くと同時に数人の乗客がホームになだれ込むように倒れた(この時の救出時の光景がテレビで中継された)。

列車は直ちに運転を打ち切った。この光景を目撃した運転士が指令センターに「3両目から白煙が出て、複数の客が倒れている」と通報したため「築地駅で爆発事故」という憶測が続いた。

小伝馬町駅ではサリンのパックが出されたことで、A720Sの後続列車である、八丁堀・茅場町・人形町・小伝馬町で運転を見合わせた4つの列車と、小伝馬町駅の手前で停止し、小伝馬町駅に停まっていた列車を人形町駅の手前まで退避させた後に小伝馬町駅に停車した列車の5列車も被害を受けた。小伝馬町駅では5列車が到着し、うち2列車が小伝馬町駅で運転を打ち切ったため、狭いホームに多数の乗客が下ろされ、列車の風圧などでホーム全体に広がったサリンを多数の乗客が吸引する結果となり、当駅では4人が死亡した。

これにより、本事件で最多となる6列車が被害を受け、8人が死亡し2,475人が重症を負った。

事件後

事件後、実行犯らは渋谷アジトでテレビを見て事件の発生を確認し、新実智光は死人が出たことを知ると大はしゃぎしたという。

使った傘など証拠品は多摩川で焼却した後、実行犯らは第6サティアンに帰還して麻原に報告した。

麻原は、

「ポアは成功した。シヴァ大神、すべての真理勝者方も喜んでいる。」「これはポアだからな、分かるな。」

と、あくまで事件はポアであったことを強調した。

そして、「『グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方の祝福によって、ポアされてよかったね。』のマントラを1万回唱えなさい」と命じ、おはぎとオレンジジュースを渡した。

-松本智津夫被告第19回公判での杉本繁郎証言に基づく発言-

麻原「今回はごくろうだったな」
新実「ニュースで死者が出ていると言っています」
麻原「そうか」
麻原「これはポアだからな。わかるな。これから君たちは瞑想しなければならない。『グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方の祝福によって、ポアされてよかったね』という詞章を一万回唱えなさい。それが君たちの功徳になるから」

地下鉄サリン事件で使用された液体は純度が低く混合液で、その内サリンは35%程度であることが判明している。

このためヘキサンなどに由来する異臭が発生した。

なお純度の高いものは無色無臭で、皮膚からも体内に浸透する。

これに関して、麻原は1日程度で終わるサリン分留について「ジーヴァカ(遠藤)、いいよ、それで。それ以上やらなくていいから。」と遠藤誠一に言っており、純度よりも攻撃を最優先させたのではないかとされている。

当初は「地下鉄で爆発」「地下鉄車内で急病人」など誤報の通報が多くサリンによる毒ガス散布が原因とは分からなかったため、警察も消防も無防備のまま現場に飛び込み被害者の救出活動を行った。

現場では、東京消防庁の化学災害対応部隊である化学機動中隊が、原因物質の特定に当たったが、当時のガス分析装置にはサリンのデータがインプットされておらず、溶剤のアセトニトリルを検出したという分析結果しか得られなかった(ただし、サリンの溶剤としてアセトニトリルが使用されていた可能性がある)。

さらに、この分析結果は、「化学物質が原因の災害である」ことを示す貴重な情報であったにもかかわらず、全現場の消防隊に周知されるまで、時間を要した。

医療

当時サリン中毒は医師にとって未知の症状であったが、信州大学医学部附属病院第三内科(神経内科)教授の柳澤信夫がテレビで被害者の症状を知り、松本サリン事件の被害者の症状に似ていることに気付き、その対処法と治療法を東京の病院にファックスで伝えたため、適切な治療の助けとなった。

この事件は、目に見えない毒ガスが地下鉄で同時多発的に散布されるという状況の把握が非常に困難な災害であり、トリアージを含む現場での応急救護活動や負傷者の搬送、消防・救急隊員などへの二次的被害の防止といった、救急救命活動の多くの問題を浮き彫りにした。

報道関係

事件の発生はただちに世界各国へ報じられ、その後も世界各地ではオウム関連のニュースはトップとして扱われた(国松長官狙撃事件や全日空857便ハイジャック事件、麻原教祖逮捕など)。ドイツでは『ナチスの毒ガス(=サリンの意)東京を襲う』と報道された。オウム真理教による一連の行動を東京支局を含めて全く察知していなかったアメリカ合衆国のCNNでは、東京支局経由で速報を伝える段階で「アラブ系テロリストによる犯行の可能性がある」と間違って報じた。

被害者

事件の目撃者は地下鉄の入り口が戦場のようであったと語った。多くの被害者は路上に寝かされ、呼吸困難状態に陥っていた。

サリンの影響を受けた被害者のうち、軽度のものはその徴候にもかかわらず医療機関を受診せず仕事に行った者もおり、多くはそれによって症状を悪化させた。列車の乗客を救助したことでサリンの被害を受けた犠牲者もいる。

目撃者や被害者は現在も心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ、電車に乗車することに不安を感じると語る。

また、慢性的疲れ目や視力障害を負った被害者も多い。被害者の8割が目に後遺症を持っているとされる。

そのほか、被害者は癌に罹患する者も一般の者に比べて多い傾向があり、事件後かなり経ってから癌で亡くなる被害者も少なくない。

また、その当時重度な脳中枢神経障害を負った被害者の中には、未だに重度な後遺症・神経症状に悩まされ、苦しめられている者も数多くいる。

裁判では迅速化のため、負傷者は当初3,794人とされ、1997年12月には訴因変更により14人に絞っている。

捜査

家宅捜索

教団の目論見とは裏腹に事件の2日後の22日、警察は全国の教団施設計25箇所で家宅捜索を実施した。

自動小銃の部品、軍用ヘリ、サリンの製造過程で使用されるイソプロピルアルコールや三塩化リンなどの薬品が発見された。

また、事件前の1月には上九一色村の土壌からサリンの残留物が検出されたことから地下鉄サリン事件はオウム真理教が組織的に行ったと推定したが、決定的な証拠が得られなかった。

サリンをまいた実行犯も特定できず、松本智津夫ら幹部を逮捕する容疑が見つからなかった。

強制捜査後、オウム側は関与を否定するため、

  • サリンの原料は農薬をつくるためであり第7サティアンも農薬プラント
  • その他の劇物も兵器用ではない、劇物の保有量が多いのは不売運動に遭っているのでなるべく大量購入しているだけ
  • オウムは米軍機などから毒ガス攻撃を受けており、上九一色村で発見されたサリン残留物は彼らが撒いたもの
  • オウムがやったなら東京にも信者がいるので巻き添えになる
  • 小沢一郎や森喜朗、創価学会の陰謀

といった主張を唱えた。

実態解明

事件から19日後の4月8日、警察は教団幹部であった林郁夫を放置自転車窃盗の容疑で逮捕した。

教団に不信感をつのらせていた林が

「私が地下鉄にサリンを撒いた」

と取り調べていた警視庁警部補に対し自白。

地下鉄サリン事件の役割分担などの概要を自筆でメモに記した。このメモで捜査は一気に進み、5月6日、警察は事件をオウム真理教による組織的犯行と断定し一斉逮捕にこぎつけた。

この頃にはすでに新宿駅青酸ガス事件、東京都庁小包爆弾事件などが相次いでいた。

4月23日村井秀夫刺殺事件が発生

これにより事件のキーパーソンである村井の持つ情報を引き出すことが不可能となった。

余波

地下鉄サリン事件は国内史上最悪のテロ事件であった。

日本において、当時戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに1994年(平成6年)に発生したテロ事件である松本サリン事件に続き、一般市民に対して化学兵器が使用されたテロ事件として全世界に衝撃を与え、世界中の治安関係者を震撼させた。

オウム真理教

一連のオウム真理教事件によりオウム真理教は宗教法人の認証認可取り消し処分を受けた。

警察の捜査と幹部信者の大量逮捕により脱退者が相次ぎ(地下鉄サリン事件の発生から2年半で信徒数は5分の1以下になった)、オウムは組織として大きな打撃を受け破産したが、現在はアレフに改組し活動を続けている。

アレフ2代目代表で、現ひかりの輪代表の上祐史浩は、地下鉄サリン事件が起きた際、オウム真理教の事件の関与を否定し続けたスポークスマンであった。

日本の公安審査委員会は破壊活動防止法(破防法)に基づく解散措置の適用を見送ったが、オウム新法(団体規制法)が制定され、アメリカ国務省は現在もアレフをテロリストグループに指定している。

地方自治体や賃貸住宅が信者の居住を拒否したり、商店主が信者への商品の販売を拒否する事例も相次いだ。

また、信者への住居の賃貸、土地の販売の拒絶も相次ぎ、一部の自治体では信者の退去に公金を使うこととなった。

オウムの関与判明後

事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、事件への関与が判明した教団の幹部クラスの信者が逮捕され、林郁夫の自供がきっかけとなって全容が明らかになり、5月16日に教団教祖の麻原彰晃が事件の首謀者として逮捕された。

地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。

東京地方裁判所は、首謀者の麻原彰晃を始め、林郁夫を除く散布実行犯全員と、送迎役のうち新実智光に死刑を言い渡し、

東京高等裁判所の控訴審ではさらに第一審では死刑求刑に対し無期懲役だった井上嘉浩に死刑判決が言い渡された。

実行役3人及び新実・井上両名の計5人に言い渡された死刑判決はいずれも最高裁判所で、2010年1月19日に新実の上告が棄却されたことをもって確定した。

2012年(平成24年)6月15日、この事件に関与したとして特別指名手配されていた高橋克也が逮捕され、地下鉄サリン事件で特別指名手配されていた容疑者は全員逮捕された。

高橋が逮捕されるまでに、前述した新実を除く送迎役は全員求刑通り無期懲役判決が確定しており、高橋も他の送迎役同様一・二審で無期懲役判決(求刑同)を受け、最高裁に上告中であったが、上告が退けられ

2018年(平成30年)7月に、事件に関与した死刑囚たちの死刑が執行された。

当事件を受けて、サリン等による人身被害の防止に関する法律が制定される運びとなった。

参考、引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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