【北九州監禁殺人事件#1】松永太とその異様な人間関係。松永はどのように人を取り込んでいくのか。
- 2024.10.04
- 日本の事件
この記事では「北九州監禁殺人事件」の主犯である松永太の幼少から内縁の妻である緒方純子との出会いまでの人間関係についてまとめます。
事件後日談などは青色表記になっています。
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事件概要
| 発生日 | 1996年(平成8年)~2002年(平成14年) |
| 発生場所 | 福岡県北九州市小倉北区 |
| 内容 | 主犯の松永太が、内縁の妻を含む親族や知人などの同居相手に対して 脅迫・虐待などを相次いで行い、 最終的には互いに殺害させるように仕向けた。 |
| 犯人 | 松永太(逮捕時40歳) 緒方純子(逮捕時40歳) |
事件の相関図

主犯・松永太とその人間関係について
松永太の性格
・病的な嘘つき
・自意識が強く目立ちたがり屋。
・饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。
・礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心、嫉妬心が強い。
・異常なまでに執念深く嗜虐的(好んで残虐なことをする)
・虚勢を張るところもあるが、実際には神経質で臆病な小心者だった。
松永は容姿や話術から女性から好感を持たれる魅力があった。
様々な女性遍歴があり、同時に複数の女性と肉体関係を持っていたり、交際女性とその母親と同時に肉体関係を持っていることもあった。
幼少~中学生時代
福岡県柳川市の実家は畳屋を営んでおり裕福で、母親と祖母に甘やかされて育った。
・小学校時代の成績は、ほとんどの教科で「5」。
・学級委員長や生徒会長を務めた。
・中学1年の時、弁論大会で3年生に勝ち優勝。
・部活動ではキャプテンを務めた。
等と言われているが、実際は虚言癖があり教師からの信用は低かった。
同級生の取材で語られた当時のこと
・成績は良かったが中程度だった。
・弁論大会で優勝した記憶はない
・部活動のキャプテンは本人が強く望んだので押し切られる形であった。
・チームプレイが出来ないのでレギュラーではなかった。
高校生時代
高校に進学。(後に内妻となり事件を起こす緒方純子も同じ高校に通っている。)
風紀委員長になるも、不純異性交遊が発覚して男子校に転校させられた。
高校卒業後
父の店を受け継ぐ。
松永はこの布団販売業で詐欺商法を繰り返していた。
1980年~ 松永19歳
結婚。1男をもうける
高校の同級生であった緒方純子に電話をかけた。
純子は松永を思い出し、会うことになる。
2回目に会った時に松永は「結婚を考えている相手がいる」と打ち明けた。
この帰りに松永が純子に迫っているが、純子が拒絶している。
3回目に会った時に松永と純子は半ば強引に肉体関係を持ち交際が始まった。
松永と純子は不倫関係にあたる。
純子が昔、交際していた男友達の話をしたのをきっかけに暴力を振るうようにる。
純子に古い日記帳を持ってくるように命じ、事細かに詰問しながら殴打するようになった。
松永に信用してもらえる方法を懇願した純子に対し、
・右乳房への煙草の痕。
・右太股に自分の名前の刺青を刻ませた。
・松永が用意した文章を読み上げさせ知人男性達を罵倒し、関係を絶たせた。
1983年
松永に長男誕生。
妻は松永の暴力が止まらないため逃げだすことを考えるが、松永に子供を取られる可能性があるため留まる。
純子は愛人として松永が経営する事務所で寝泊りをするようになる。
妻は純子と松永から度々暴行を受ける。
純子は松永から暴行を受けたり命令される際、妻より従属的だったという。
1984年
子持ちの妻帯者という事で純子の両親から交際を反対される。
松永は妻と離婚して純子と再婚し婿養子入りすることを約束する「事実確認書」を作成した。しかしその後、松永は純子の母親と肉体関係を持ち、その後も継続的に肉体関係を結んでいる。
この件で純子は母親に嫌悪感を持ち日記に「同じ血が流れているのが嫌になる」と書いている。
事件後、この件について純子は「同意による関係でなく、強姦という形で関係を持ったと思う。男女関係になり虐待されて殺害されるという形で事件に巻き込んでしまった。もし、母が男女関係を続ける中で女として悦びを感じる瞬間があったとしても、私は母を恨んだり憎んだりしません。」と擁護した。
検察も純子が主張する強姦説を取っている。
1985年2月
松永から暴力を受けていた純子は勤務先の幼稚園で心労と睡眠不足による過労で倒れる。
数日後の2月13日
実家で自殺を図るが、未遂となり入院。
2月15日
松永は純子を退院させて実家に戻さずに自分のアパートに連れ帰る。
「自殺されたら原因を探られ、自分も警察に呼ばれて迷惑だ」と純子に対する暴力は更に激しくなった。
松永は不倫関係が妻に発覚したら損害賠償を請求されると脅したり、
純子の裸写真をカメラ撮影し純子をコントロールしていく。
松永は純子に幼稚園教諭を辞めさせて自分の会社で働かせた。
さらに純子と実家の関係を絶つために分籍もさせている。
1987年5月
会社を「ワールド」と改名。
株式会社にした。
松永は「ワールド」の従業員が気に入らない行動をとると、虐待を行っていた。
1992年1月
妻は長男を連れて松永から逃げ警察署に駆け込んだ。
DVの被害申請をし、紹介された相談所で仮住まいとなる。
松永は居所を探したが、市役所が住民票を移さないまま長男の転校等を特別に許可するなどの対応をとったために難を逃れた。
2か月後に離婚が成立。
元妻の言葉
事件発覚後
「もしあの時、逃げなければ、私が純子のように家族を殺していたかもしれない。」
「私と子供さえよければいいという考えから純子を見捨ててしまい、純子は松永に連れられてしまった。純子には申し訳なく思っている。」
松永について
「松永はとにかく自信家で大きなことばかり言って、人に夢を持たせる」
「松永は自分のことを、『世の中の救世主』と語っていたが、松永と出会った人は全員不幸になった」
「松永によっていつか死人が出ると思ってた」
「多くの嘘で上塗りをしていくと、松永の中では本当のことになる」
「あんな人間、二度と出てこない」
詐欺・脅迫罪で指名手配
1992年7月
布団販売業で詐欺的商法をしていた松永は1億8000万円を荒稼ぎしていた。
松永と純子は社員には虐待を行い、社員も純子を虐待したりしていた。
そういった環境のため社員らが次々と脱走。
業績が悪化し、さらに詐欺的商法が警察の知るところとなる。
警察に指名手配され、松永と純子は最後まで残っていた男性社員と3人で逃亡するも、金の工面をしていた男性社員も虐待に耐えかねて逃走した。
純子はこの逃亡中に長男を出産している。
1999年7月
詐欺事件と脅迫事件について、公訴時効が成立。
結婚詐欺
松永は本事件中に偽名を使って複数の結婚詐欺を行い多額の金銭を得ることが多かった。結婚詐欺被害者はたくさんいたものの、立件されていない。
また、少なくとも被害にあった1組の母子が不審な死を遂げている。
この不審死事件は以下リンクの「北九州監禁殺人#2 ~事件について~」内で、触れます。
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