【永山事件 #1】 壮絶な生い立ち 「暴力ですら無視されるよりマシ」断ち切れなかった負の連鎖
- 2024.12.16
- 日本の事件
- 1. 事件概要
- 2. youtube動画はこちら
- 3. なぜ拳銃を持っていた?
- 4. なぜ盗みに入ったのか?
- 4.1. 北海道網走で生まれる
- 4.2. 母(ヨシ)
- 4.3. セツ姉さんの精神病
- 4.4. 母、青森へ
- 4.5. 残飯をあさる子供たち
- 4.6. 母はなぜ子どもを捨てた?
- 4.7. 子ども達、ヨシの元へ
- 4.8. 兄弟にいじめられる則夫
- 4.9. 鬱憤を晴らす二男
- 4.10. 一緒になって殴る母
- 4.11. 退院したセツ姉さん
- 4.12. セツ姉さんと近所の男
- 4.13. 再び心を病むセツ姉さん
- 4.14. 父、現れる
- 4.15. 父、死亡
- 4.16. 妹と姪への暴力
- 4.17. 集団就職の準備で
- 4.18. 就職先での評価
- 4.19. 過去の万引きが知られる
- 4.20. 荷物を置いたまま逃げ出す
- 4.21. 働きながら定時制高校へ通う
- 4.22. 牛乳店から逃げる
- 4.23. 永山の脳
- 4.24. 虐待が与える脳への影響
- 4.25. 二男の家に入り浸る
- 4.26. 二男にも疎まれるように
- 4.27. 生活の悪化
- 4.28. 日本から逃げ出したい
- 4.29. 少年鑑別所に入れられる
- 4.30. 行く宛をなくした永山
- 4.31. 米軍基地へ
事件概要
| 発生日時 | 1968年(昭和43年)10月から11月にかけて |
| 発生場所 | 東京都・京都府・北海道・愛知県の4都道府県 |
| 内容 | 在日アメリカ海軍・横須賀海軍施設から盗んだ拳銃を使い 男性4人を相次いで射殺した事件 |
| 被害者 | 10月11日 ホテル警備員 (東京 男性27歳) 10月14日 神社の警備員 (京都 男性69歳) 10月27日 タクシー運転手(函館 男性31歳) 11月05日 タクシー運転手(名古屋 男性22歳) |
| 犯人 | 永山則夫(事件当時19歳少年) |
| 判決 | 死刑(少年死刑囚 ) 1997年(平成9年)8月1日 執行済み(48歳没) |
youtube動画はこちら
なぜ拳銃を持っていた?

1968年10月初めごろ
以前にも盗みに入ったことのある在日アメリカ海軍・横須賀海軍施設へ盗み目的で侵入。
基地内の兵士宅で妻が所有していた小型拳銃1丁と拳銃の実弾約50発、ジャックナイフ1丁などを盗んだ。

宝を見つけた

永山は後にこの時の事を、こう語っている。
「ちょっと嬉しかった。宝を見つけたって」
「今までずっといじめられてきたでしょ。威張ってみたいって気持ちもあったのかな。それ持ってたら強いんだって。」
なぜ盗みに入ったのか?
永山事件は幼少期からの影響、精神鑑定についてが重要になってくると考えるため
米軍基地へ盗みに入るに至った永山の生活と環境の変化を幼少期から順を追って見ていく。
北海道網走で生まれる
北海道・網走で暮らしていた永山家


11家族という大所帯だった。

一家には子どもが8人と、高校生の長男が作った子どもも一緒に暮らしていた。
永山が唯一心を開いていたのは、19歳年上の長女、セツ姉さんだった。
父親はギャンブルにハマり仕事もせずたまに家に帰れば有り金を持ち出すため、夫婦仲は破綻していた。
母(ヨシ)

母親は日銭を稼ぐために、一日中行商に出歩いていた。その母の代わりに家事を任されていたのが、長女のセツ姉さんだった。
セツ姉さんは、進学を諦め永山ら幼い兄弟の世話と家事に明け暮れていた。
セツ姉さんの精神病

永山(則夫)が4歳の時、セツ姉さんは精神を病み精神病院に入院する。婚約者と別れ、身ごもっていた子どもを泣く泣く堕胎した事などから、心を病んでいった。
以後5年間、この病院で入院生活を送ることになる。
その時の事を永山は覚えていた。
セツ姉さんにおぶさってね、坂の上にある病院に行った。精神病院かな。
白い看護婦さんをボヤっと覚えてるけど。
医者とか僕の顔見てガヤガヤ騒いでいた。

家事と育児を任せていた長女が入院し、母は途方に暮れた。
長女の様子がおかしくなった頃のことについて、
母親のヨシもこう語る。
フワッと変になってしまって。本当にもう駄目になってしまったの。
帰ってきたら何にもしてないの。
子どもらが「姉ちゃん、姉ちゃん」って。「姉ちゃんまた神社にいるよ」って。
黙って座っているようになったの。
ヨシはお金を稼ぐことに必死で子どもにかまってやることが出来なかったと語った。
母、青森へ
ヨシは父親と別れる事を決意し実家のある青森へ行くことにした。
しかし一緒に連れて行ったのは女の子3人だけだった。
他の4人のこども達を置き去りにした。
残されたのは…
三女(14歳)次男(12歳)三男(9歳)則夫(5歳)だった。

残飯をあさる子供たち

兄弟は凍てつく冬に、ゴミ箱の残飯を漁ったり、港に落ちた魚を拾って歩いた。その時の事を永山が語った。

そのころは分からなくて、すごく腹が減った記憶だけ。うわーって泣いた記憶。
あれは網走公園かどっかかな。ゴミ箱から羊羹みたいなの拾って食った。
近所の人に棒でガツンとやられたりして。
よく叩かれて泣いて。兄弟にも泣かされたな。
誰かが「俺ら捨てられたんだ」って言った。
母はなぜ子どもを捨てた?
ヨシも子供時代、幼い兄弟の世話をさせられていた。そして養父にひどい虐待をされていた。
酔っては天井に吊るされたり叩かれたりしていたため、寒くても逃げて隠れていたという。
そんな中、実母からも「死んでしまえ。こうして苦しんで生きていても 何にもなない」と言われて叩かれた。
そして実母が無理心中を図ろうと川に飛び込もうとしたとき、ヨシは「嫌だ嫌だ、死ぬの嫌だ」と泣いた。そして布をかぶせられて更に泣いた。ヨシが4歳の時だった。
そして10歳の時、ヨシの母親はさらに別の男と再婚し青森へ。ヨシはたった一人、置き去りにされた。
2年後、ロシア極東の町を放浪していたところを保護され実母の元へ送り返された。

後に永山の精神鑑定をした精神科医の石川氏はこう語る。

虐待された親が子供を虐待するでしょ。
そういう風な連鎖がね。
やられたことをやらない親もいるけど、それは少ないですよね。
やられたら、同じことをやる。
だから捨てるのはお母さんにとっては、そんなに惨いことじゃないわけ。
石川さんは鑑定書の中で「ヨシは極めて不幸な生い立ちの中で、温かい愛情に包まれることなく成長したため、親としての役割を果たせず永山家の2代に渡る悲劇が起きた」 と分析している。

子ども達、ヨシの元へ
その後、捨てられた子供たちは役場の尽力でヨシのいる青森県・板柳へ送られた。
ヨシは板柳でも朝早くから行商に出て夜まで戻らない生活を送っていた。

兄弟にいじめられる則夫

この家庭環境の中、二男(中学一年)が一番年上の存在だった。
そしてこの7歳上の兄に連日のように暴力を振るわれた。
みぞおちをよく殴られて気絶したんだ。朝起きたら誰もいなくてシクシク泣いていたのは覚えている。
鬱憤を晴らす二男
二男は貧しさのせいで修学旅行にも行けなかった。
成績は良かったが、進学を諦めて集団就職するほかなかった。その鬱憤を永山(則夫)で晴らしていた。
一緒になって殴る母

ヨシは行商から帰ってきて泣いている永山(則夫)を見て、殴ったり罵ったりした。
(則夫が)おやじの血統だから腹立ってくる。
歩く格好も似てたの。癪に障る。寝る時も似てるの。
言った後に、「あ、また言ってしまった」と思うんだけど言ってしまうの。
退院したセツ姉さん
永山が小学校5年生の頃、入院していたセツ姉さんが退院して青森・板柳に戻ってくる。セツ姉さんは29歳になっていた。

永山の小学校の記録を見ると、セツ姉さんの帰ってきた5年生の時はほとんど学校に通っているのが分かる。

セツ姉さんが宿題教えてくれるから、全部やれた。
みんなに高々と言うでしょ。そういうのもあったのかもわかんない。
セツ姉さんと近所の男
ある日、永山はセツ姉さんと近所の男が一緒に寝ているのを見てしまう。
そして男を殴りつけた。
その後、セツ姉さんは子どもを身ごもり産もうとするがヨシに止められ妊娠7か月で堕胎。
永山はセツ姉さんが堕胎した子どもを病院から墓まで運び埋めさせられた。

永山家には墓石がなく、母ヨシに言われて漬物石を置いた。

石あるでしょ。あれを持っていくのも嫌だったよね。
嫌になってね。妊娠されて。そのころから俺の方も変になってきて。
会うと嫌な感じになる。兄貴に殴られたときの感じとも違うしね。汚いものみたらヘド吐きそうな。
ああいうような感じで何か嫌でさ。
再び心を病むセツ姉さん
セツ姉さんは再び心を病み、奇妙な独り言や空笑いを繰り返すようになった。

そして間もなく、隣町の精神病院に入院する事となった。
セツ姉さんは生涯、入退院を繰り返した。
永山がただ一人慕った姉だった。

お姉さんが自分以外のものと、そういう愛っていうか、肉体関係を持っていたってことは彼(永山)にとって耐えられない傷になったんでしょうね。
心の傷になったんでしょう。まず自分が愛されて愛ってのはこういうもんだってのを身にしめて感じて初めて人にも出来ますよね。
妊娠はお母さんと一体ですよね。
そして生まれてお母さんと離れ離れになった時に非常に不安になって、お母さんにしがみつくわけですよね。しがみついてそれで信頼できるようになって。
お母さんからちょっと離れて、またすぐ帰ってきて、抱っこしてもらって。
安心してまた少しもう1歩離れて、また帰ってきてと繰り返しながら、だんだんだんだんお母さんの愛情を基礎にして離れて自立していけるわけですよね。
だから愛情がなかったら子供っていうのは順調に自立していけなくなっちゃうんですね。
父、現れる
セツ姉さんの入院と同じ頃、行方不明になっていた父親が突然現れ、家の中に入ろうとした。
しかし兄弟たちに木刀で殴られて追い返されてしまう。
次の日、映画館の前にいた永山に話しかける。
「則夫、則夫」と声をかけ「100円やろうか」と言ったというが、永山は逃げてしまった。
その後父はすぐに行ってしまった。それっきりであった。
親父って言ってもね、おふくろが言うように悪く感じないんだ。
俺の知ってる親父ってのは100円くれるっていう、あの親父しかないんだ。
その時は非常に優しそうな・・・。くれるって人はあまりいなかったから。
優しいような感じがあったんだ。
父、死亡
永山が中学一年になった冬、父が死んだという知らせを受ける。
岐阜県で行き倒れ、ポケットには10円しか入っていなかった。

親父の死んだ写真見て、びっくりしちゃって。
汚い格好してたな。顔がなんか嫌でね。
お袋が「10円持って死んだ」ってガミガミ言ってるし。
夢をぶっ壊された。風船と同じだよね。
針持ってパーンてやったらめちゃめちゃに。
その頃なんだよね。俺なんで生まれたんだろうって。
何回も死のうかなと思ったりしてね。ぶら下げたよ。縄で。
いつやろうかな。そればっかり考えてた。
妹と姪への暴力
学校では大人しく友達もいなかった永山だが、家の中では様子が変わってきた。
上の兄弟が集団就職で家を出た後、永山は妹と姪に暴力を振るうようになる。
その頃からかな。木刀持つようになるの。おふくろを直接こんなことやらないけど、前のように強く言ったらぶん殴るっていう自信付けちゃったんだ。
集団就職の準備で
中学3年のころ、集団就職のための準備資金もなく呉服屋でワイシャツを盗む。
昭和40年
渋谷駅前の高級果物屋に就職を果たした。
東京へ旅立つ日、永山を見送ってくれる家族は誰もいなかったという。
就職先での評価
永山は小柄で顔立ちもかわいらしかった事から、みんなから可愛がられた。
誰よりも早く出勤し店の掃除をし、果物の包装も一番先に覚えた。
そして入社3か月で新しい支店の担当に大抜擢されるほど熱心に働いていた。
過去の万引きが知られる
しかし約半年後、果物店の上司が永山の地元で、呉服屋でのワイシャツの万引きの過去を知る事となる。
そして永山本人に「呉服屋のこと、知っているぞ」と告げた。
永山はその時のことをこう話している。

俺びっくりし ちゃってね。ガーンてぶたれたような感じしたよ。
それからねダメ になっちゃったんだよね。
本当にガックリしちゃった。やる気 なくなってきて。
クビになるかわかんないって。
荷物を置いたまま逃げ出す
そして1週間後、永山は寮に荷物を置いたまま逃げ出した。
それから事件を起こすまでの3年半の間、20か所近い職場を点々とした。
最初は必死に働くものの荷物を置いたまま逃げ出すという全く同じパターンを繰り返す事となる。

何人かで話してて俺が行くとピタっと止まっちゃう。
そういう瞬間、「あれ?」と思って。
「俺のこと話していたのかな?」って思っちゃう。
少し嫌だった。
永山は行く先々で、不安と猜疑心をつのらせていく。
働きながら定時制高校へ通う
永山は東京・荻窪の牛乳店で住み込みで働きながら定時制高校へ通い出す。
高校では真面目さが買われて委員長になり、熱心に委員長の仕事をしていたという。
しかし永山の心は猜疑心でいっぱいだった。

委員長にして俺を辞めさせるという思いがあったのかもしれない。
俺が脱落するようにって。
牛乳屋っていうのはきついことを知ってるんだ。
それで負担をかけて(委員長に)選ぶってことで辞めさせるって思った。
牛乳店から逃げる
牛乳店で働き出して1年半、永山はまた荷物を置いたまま逃げ出した。
その時の店主はこう語る。

働きぶりは真面目だったね。真面目だったんだけどね。
何が狂ったのか分かんないですよね。
学校もちゃんと行ってたんだし。
そして石川氏はこう語る。

それはもう、人間不審ですよね。不安ですよね。それが非常に強い。
お母さんに捨てられた。お姉ちゃんにも結局生き別れで捨てられた。
お父さんは、ああいう風に死んだ。ということから人間不審の極まりでしょうね。
信じられないし、怖いしね。不安だけが強くなって。
褒められたことも全部人間不審感に繋がっていたんでしょうね。
だから本当に良いことをしてくれても、被害妄想的になっちゃうんですね。
永山の脳
精神科医の石川氏は永山の脳の検査を行った。
永山の脳は左右で通常とは異なる偏りがあることがわかった。
石川氏は幼少時からの過酷な体験で脳が何らかの障害を受けた可能性があると指摘。
当時はほとんど知られていなかったが、これはPTSD心的外傷ストレス障害の症状である。

虐待が与える脳への影響
これまでの研究ではPTSD患者の中でも幼時期に虐待を受けた人は脳の発達が左右で異なるケースが多く報告されている。
例えば記憶や情動に関係する機能を持つ海馬では、アメリカとドイツの研究で左右の海馬のうち左側だけが虐待を受けていない人より平均12%から16小さくなっていた。

最新の研究ではこうした症状が治療によって改善する可能性も分かってきた。
研究者たちは児童虐待は脳を傷つけ心身に障害を起こすこともあり子供の人生に深刻な影響を及ぼすと指摘している。
二男の家に入り浸る
永山が上京して2年経った頃、栃木にいた二男が上京。
高柳で散々暴力を振るってきた二男である。
二男は池袋のアパートに暮らし、アルバイトで日銭を稼ぎパチンコ三昧の毎日だった。
寝る場所のない永山が金を持っていくと泊めてくれた。こうして永山は有金を二男に渡し、アパートに入り浸るようになる。

永山の人間関係っていうのは、差別され無視され阻害されるっていう関係ですよね。
相手にしてもらえないわけですよね。
ところが兄さんは殴るっていう非常に惨いことだけど肌の感触はあるわけです。
たとえ殴られるっていう形での感触だけど、それでも無いよりはマシだと。無視されるよりはマシだと。人間にとって無視されるのが一番辛い。
だから殴られても二男の方がまだ関係があるわけですよ。
二男にも疎まれるように
ところが池袋の二男も次第に永山を疎んじるようになった。

急に冷たくなっちゃったんだな。
「お前いい加減にしろ」「うちはホテルじゃない」「もう来ないでくれ」
と言われたのね。
兄弟では一番俺がバカだっていうんだ。
殴られれば殴られっぱなしで、かかってこない。兄弟の前では小さくなっちゃうもんね。
全然病気もしてないのに。バカバカ言われるとすぐセツ姉さんのこと考える。
生活の悪化
定職もなく、寝る場所もない。
生活は悪くなるばかりだった。

新聞紙敷いて寝てたよ。
とにかく独りっていうか。独りになっちゃったんだな。夜になると寂しくなるんだよね。
親父のようには死にたくないって。
親父が10円持って死んだのが非常におっかなくて。必ず千円くらい持ってた。
俺自体も野垂れ死にだって。
永山は何度も手首を切りつけた。
石川さんが確認しただけで、自殺未遂は18回にのぼった。
日本から逃げ出したい
日本から逃げ出そうと、外国船に忍び込んだ時も船の中で自殺を図った。
出たらね、海に飛び込んでも良いって気持ちだった。
見つかって足を縛られた。
少年鑑別所に入れられる
永山は船から送り返され少年鑑別所に入れられた。
無口で小柄な永山はリンチの的になり、便所の水を飲まされ耳から血が流れるほど殴られた。

東京に言って全く別の人間になろうとしますけど、やっぱり繰り返してしまうんですよね。繰り返すどころかもっと悪くなる。状況が。
努力しようにも空回りになるんですよ。
個人が出来る努力のエネルギーを出すっていうのは、愛情とか褒められるとか尊重されるとか、そういうことがなければ努力は続かないし実らないんですよ。
行く宛をなくした永山
永山は母親の故郷、青森・板柳に向かった。
一人暮らしをしていた母親は、永山に暖かい言葉はかけなかった。

おふくろ、ガミガミ言ったよ。
死ぬなんつってまた帰ってきたじゃないってね。
兄弟たちはちゃんとやってるのに、なんでお前だけフラフラしてるのかって。
俺、だいぶ疲れてたんだ。もう少し静かにしてくれたら良かったんだ。
何のために今まで生きてたのかなと思ってね。
セツ姉さんと行った海辺しか憩うとこなかったんだな。
米軍基地へ
アメリカ兵に撃たれて死んでも良いという捨て鉢な気持ちで、米軍基地に侵入した。
そして拳銃を手にする事となる。
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