【米史上最悪】93人殺害の連続殺人犯サミュエル・リトル【被害者の似顔絵を描いていた】
- 2025.01.06
- 海外の事件
事件概要
| 発生日時 | 1970年から2005年の35年間 |
| 発生場所 | アメリカ合衆国 全米各地 |
| 内容 | 3つの殺人事件の犯人として終身刑で服役中に 93人の殺害を自供。約60人の犠牲者が特定された。 犠牲者の多くは女性であり、殺害方法は絞殺がほとんど。 |
| 被害者 | ほとんどが黒人女性で、売春婦だった。 |
| 犯人 | サミュエル・リトル |
| 判決 | 終身刑(80歳で病死) |
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リトルについて
1940年6月7日
ジョージア州レイノルズで生まれる。

両親
母親は刑務所に入っている間にリトルを産んだのではないかとされている。
リトルが産まれた年、母親はメイドとして働き、父親は19歳だった。
生まれて間もなくリトルの家族はオハイオ州ロレインに移り住み、そこでリトルは主に祖母によって育てられた。

リトルは、母親のことを「10代の売春婦で自分を捨てた」と主張している。
素行
中学校の頃から素行と成績に問題があった。
幼少の頃、幼稚園の先生が女性の首を触っているのを見たリトルは、女性の首を絞めるという性的な妄想を抱くようになる。
10代の頃には女性の首を絞める様子を描いたクライムマガジンを集めていたという。
「クライムマガジン」とは、犯罪や事件に関する情報を特集した雑誌や出版物

犯罪歴
| 1956年 (16歳ごろ) | 建造物侵入の有罪判決を受け少年院に収容 (母親は住所不定) |
| 1961年 (21歳ごろ) | 家具店への不法侵入により3年間刑務所に収監 |
| 1960年代後半 | 母親と暮らすためにフロリダに移り住む。 不定期に墓地作業員や救急車の乗務員として働いていた |
| 1975年までの15年間 | 飲酒運転・詐欺・万引き・武装強盗・加重暴行・レイプ 公務執行妨害等の罪により、11の州で26回逮捕された。 刑務所ではボクシングを始め、ミドル級のボクサーとして賞金を稼いでいた。 |
| 2012年 (72歳ごろ) | ホームレス保護施設で薬物関連の罪で逮捕 |

殺人が発覚した経緯
リトルの殺人が発覚したのは2012年の薬物関連での逮捕がキッカケである。
取り調べを通じDNA鑑定が行われた結果、1987年-1989年にかけてロサンゼルスで発生した3件の未解決殺人事件に関与した疑いが浮上。
この事件について、女性3人を殺害した罪で終身刑となった。2014年(74歳ごろ)の事である。
93人の殺害を自供
リトルは服役先のテキサス州の刑務所で次々と殺人事件を起こしていたことを自白。
自白した殺人事件の件数は93件で、うち60件が捜査当局により確認され、50件の殺害が裏付けられた。
リトルが描いた被害者たちの似顔絵

FBIは被害者の身元特定のためにリトルが描いた絵を公開した。
なぜ当時、被害者は見つからなかった?
犠牲者の死因の多くは当初、薬物の過剰摂取、事故、あるいは原因不明とされた。
遺体の中には発見されなかったものもある。
そのためリトルは長年、誰も被害者の行方を追っていないと考え、自分が捕まることはないと信じていたと言われている。
ビデオによる自白と事件の詳細

1971年か1972年にフロリダ州マイアミで魅力的な18歳から19歳の黒人トランスジェンダー女性に出会った。リトルは彼女の名前がマリアンヌかメアリー・アンだったと覚えている。リトルはマリアンヌをハイウェイ27号線で北上させ、おそらくサトウキビ畑の近くの私道で殺害した。その後、彼はさらにハイウェイ27号線をエバーグレーズまで走り、川か沼地へと続く未舗装の道路に曲がった。リトルはマリアンヌの遺体を約200ヤード、濃い泥水の中に引きずり込んだ。彼は遺体が見つからなかったと思っている。
殺人現場と被害者

この地図はFBIのサイトで公開されている。ピンを選択するとリトルが自白した被害者について表示されるが、まだ明確に裏付けがされていない事件である。
FBIは、各被害者のために正義を求め、可能な限りすべての事件を解決することが重要だと考えています。
リトル死亡
2020年12月30日
カリフォルニア州の病院で死亡。80歳だった。

私のような罪を犯した人は他にいないと思う。私は世界でたった1人の存在だ。それは名誉などではなく、呪いだ。
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