【宮崎勤】東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件【死刑執行】
- 2025.01.22
- 日本の事件
事件概要
| 発生日時 | 1988年(昭和63年)から翌1989年(平成元年)にかけて |
| 発生場所 | 埼玉県・東京都 |
| 内容 | 4歳から7歳の女児が誘拐され殺害された。 犯人は、被害者の遺骨を遺族に送りつけたり 犯行声明を新聞社に送りつけるなどしたため、報道が過熱した。 |
| 被害者 | 1988年 8月 今野真理ちゃん (当時4歳)絞殺 1988年10月 吉沢正美ちゃん (当時7歳)絞殺 1988年12月 難波絵梨香ちゃん(当時4歳)絞殺 1989年 6月 野本綾子ちゃん (当時5歳)絞殺 1989年 7月 Eちゃん(当時6歳)裸にした |
| 犯人 | 宮崎勤(当時26歳) |
| 判決 | 死刑 2008年(平成20年)6月17日 刑が執行された。 45歳没 |
今野真理ちゃん

1988年8月22日 埼玉県入間市
15時20分ごろ、真理ちゃんは近所に住む同じ幼稚園の友達の家に遊びに行くと言い残して外出したが、自宅に帰ってこないため両親が「娘が帰ってこない」と埼玉県警察に通報した。
真理ちゃんは友人宅にも行っていなかった。
真理ちゃんは家を出た後、宮崎勤に声を掛けられている。
宮崎勤は当時4歳の真理ちゃんに「涼しいところに行かない」と声をかけ車に乗せて八王子市内で殺害後、遺体にわいせつ行為をし遺体の様子をビデオで撮影していた。
骨を被害者宅へ送りつける
1989年2月6日
真理ちゃんの自宅玄関前に段ボール箱が置かれており、中には焼かれた十数個の骨片(歯が付いた子供の顎部の骨など)、犯行を匂わすメモ、富士写真フイルム製のインスタントカメラで撮影された写真(真理ちゃんが失踪した当時着ていた衣服の写真)などが入っていた。
犯行声明

1989年2月10日 2月11日
「今田勇子」の名で、朝日新聞東京本社と真理ちゃん宅宛にそれぞれ、犯行声明と真理ちゃんの顔が写ったインスタント写真が郵送された。犯人は犯行声明の中で女性であると称し、内容は段ボール箱に入った骨は全て真理ちゃんの骨である、と主張するものだった。
犯行声明
真理ちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。
この、真理ちゃん一件に関しては、最初から最後まで私一人がしたことです。
私が、ここに、こうして真実を述べるのには、理由があるからです。
まず、あの段ボールに入った骨は、明らかに真理ちゃんの骨です。
その証かしを立てます。
まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう…
〈中略〉
あの骨は、本当に真理ちゃんなのですよ。
告白文

1989年3月11日
真理ちゃん宅に送られた段ボール中の骨片は真理ちゃんのものと正式に断定された。そして3月11日に、葬儀、告別式が行なわれた。このタイミングで真理ちゃん宅と朝日新聞東京本社に『告白文』が届く。
御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。
御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
子宮等の事情で、子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいましたことを深くお詫び致します。
<中略>
可愛い真理ちゃんを殺してしまったけど、やはり、私が会いたいのは私の子供。子供のことしか頭にない。ない。どうしたらいいのでしょう。
<中略>
吉沢正美ちゃん

1988年10月3日 埼玉県飯能市
正美ちゃんは13時50分ごろに集団下校し、途中で欠席した同級生宅に一人で寄って学校からの連絡帳を届けた後、自宅玄関先にランドセルを置いたまま行方不明になった。
宮崎勤は当時7歳の正美ちゃんに「道を教えてくれるかい」と声をかけ、車に乗せ、八王子市内の山林で殺害後、遺体にわいせつ行為をしている。
難波絵梨香ちゃん

1988年12月9日 埼玉県川越市
午後4時30分ごろ
宮崎勤は当時4歳の絵梨香ちゃんに「あったかい所によっていかない?」などと声をかけて車に乗せ誘拐した。県立少年自然の家まで移動し、「お風呂に入ろう」と絵梨香ちゃんを全裸にして写真を撮ったが泣きやまないため、午後7時過ぎ、首を絞めて殺害、その後遺体を山林に捨てた。
1988年12月13日
県立少年自然の家の職員が施設付近の河原で絵梨香ちゃんの着衣などを発見。
2日後、職員は警察に通報し、警察が秘匿で捜索を開始した。そして山林から全裸で手足を縛られた状態の絵梨香ちゃんの遺体を発見。
犯行声明
宮崎勤は、絵梨香ちゃん殺害後に、真理ちゃん宅と絵梨香ちゃん宅にハガキを送っている。
魔が居るわ 香樓塘安觀
野本綾子ちゃん

1989年6月6日 東京都江東区東雲
午後6時ごろ
宮崎勤は当時5歳の綾子ちゃんに「写真を撮らせてね」などと話しかけ車に乗せた。
車内で手の事をからかわれたので、午後6時20分ごろ、近くの駐車場で首を締めて殺害した。
その後、遺体を自室に運び込んでわいせつ行為を行いビデオ撮影。
その2日後、体をノコギリなどで切断。
6月10日に飯能市の霊園や五日市町の山林などに投棄した。
1989年6月11日
埼玉県飯能市内にある宮沢湖霊園内の簡易トイレの裏側で首、両手足が切断された幼女の全裸遺体が発見され、綾子ちゃんと確認された。
Eちゃんわいせつ事件と逮捕
1989年7月23日 東京都八王子市美山町
幼い姉妹を標的として妹の方の全裸写真を撮るというわいせつ事件を起こしている現場を被害女児の父親に見つかり威嚇された。
宮崎勤が「もうしませんから警察には言わないでください!」と言ったのを偶然近くをパトロールしていた警官に聞かれて父親によって警察に引き渡される。
宮崎勤は当初、埼玉県で起きた3つの誘拐事件の関連については否定していたが、その後4つの事件への関与を自供し逮捕された。
宮崎勤、自宅の大量のビデオ
この事件では宮崎勤の自宅の大量のビデオも話題となった。

宮崎勤の部屋は膨大な量のアニメや特撮のビデオテープで埋め尽くされていたことからオタク・ロリコン・ホラーマニアとして報道された。
しかし持っていたビデオテープのうち、アニメやホラービデオは数えるほどしかなく、また、布団の上にあったとされる成人雑誌は取材人によって故意に目立つように置かれていたことも後に判明している。

社会的影響
■この事件をきっかけにペドフィリア嗜好の存在が知られるようになった。
テレビの幼児番組などでも、児童(女児)の裸・下着が画面に映ることを避けるようになった。
■創作物における性的描写の規制が強まった。
少年漫画などで女性の裸体で乳首が見えないように修正がされだしたのもこの頃である。
■アニメ『らんま1/2』 第14話「さらわれたPちゃん 奪われたらんま」が誘拐を連想させるとして急遽差し替えられた。
後日放送予定だったものを放送したが、14話の回想シーンがあったため話が繋がらず混乱を招いた。
■ヤングサンデーで連載中だった「ANGEL」が連載中止となった。
内容は、男子高校生が人助けで知り合った多くの女性と欲望のままセックスするストーリーギャグ漫画である。
■日本のロックバンドARBの楽曲「MURDER GAME」の歌詞が事件に酷似していると、放送禁止となった。
奴は二十歳を過ぎて
仕事にあぶれたまま
テレビゲームだけを ただひとつ
慰めにしてた男
ある日話し相手の
子供を部屋に入れて
とてもささいな事を なじられて
頭に描いた MURDER GAME
夢と現実の間を 揺れ動いていた
昼も夜も
心を開いた事もなく
心をのぞいて 見た事もない ままに
そしてその日を決めて
子供を電話で呼び
まるでゲームのように 簡単に
命を奪った BABY FACE
顔色ひとつ変えないまま
奴は抱えられ 連れられてく
誰かを信じた事もなく
誰かに信じられた覚えもない
何かを傷つけた事もなく
どこかで痛みを受けた事もない
心を開いた事もなく
心をのぞいて見た事もない
誰かを愛した事もなく
誰かに愛された覚えもないままに
とても幸せそうな 笑顔が溢れている
都会の死角で 今日もまた繰り返されてく MURDER GAME
宮崎勤の生い立ち

| 生年月日 | 1962年〈昭和37年〉8月21日 |
| 出身地 | 東京都西多摩郡五日市町小和田181番地 (現在のあきる野市) |
| 家族構成 | ・祖父(宮崎昇吉)町会議員 ・祖母 ・父(宮崎克己) ・母 ・長男(宮崎勤) ・姉、妹 7人家族 |
| 生家について | 地域紙『秋川新聞』を発行していた「新五日市社」を経営する、裕福な一家の長男として出生 |
父が経営していた新五日市社

両親は共働きで多忙なため、生まれてまもなく子守りの男性を住み込みで雇い入れている。
幼少期の勤を、ほとんどこの男性と祖父が面倒をみていた。
宮崎勤の身体障害
勤は幼い頃から手首を回せず手のひらを上に向けられない「両側先天性橈尺骨癒合症(せんてんせいとうしゃっこつゆごうしょう)」だった。
前腕の橈骨と尺骨が生まれつき癒合している先天性の疾患で、前腕の回旋運動が制限されたり、手のひらが下を向く前腕回内位で固定されたりする症状がある。
両親は「手術をして身障者のレッテルを張られたら、勤の将来に悪い結果となると判断し、そのままにした」と、積極的な治療を受けさせなかった。
宮崎勤は、幼稚園ではお遊戯や頂戴のポーズもできず、周囲からからかわれても幼稚園の先生は何も対応しなかったため「非常に辛かった」と話している。
中学時代
中学生の頃の同級生が話す宮崎勤についての思い出
ボウリングをしに行ったが、宮崎が「好きなアニメの最終回だから一旦帰る」と言って帰宅した。
発売されたばかりの20万円ほどするビデオデッキを買ってもらっていて、アニメの途中のCMを入れないように録画するこだわりがあった。そしてアニメが終わるとボウリングを再開した。自分勝手なやつだけど要領がいいな、と感じた。
高校時代
高校は、手の障害を気にして、女生徒がいない自宅から片道2時間かかる明治大学付属中野高等学校へ進学するが、両親は「英語教師になるためにわざわざ遠い高校へ進学した」と勘違いしていた。
宮崎勤の通った明治大学付属中野高等学校は「永山事件」の永山則夫が定時制に通っていた。
短大時代
東京工芸短期大学へ進学した。
俳優の川﨑麻世が短大の同級生であった。
しかし、川﨑はインタビューで「僕は記憶力が良い方だし、クラスは全部で80人ほどだったから、忘れるはずはないんだが、そんな奴いたかって感じなんだ。同級生にも聞いてみたけど、誰も覚えていなかった」と答えた。
就職
1983年4月 父親と叔父のあっせんで印刷会社に就職した。しかし宮崎勤は無気力で怠慢であったことから従業員からの評判が悪かったという。
家族の関係について
宮崎家の家族関係について様々な情報がある。祖父と父が女性にだらしなく家族に暴力をふるっていた、という話や母親が父親の悪口をいいふらしていた、等である。
1985年、宮崎家は大規模なリフォームを行いダイニングテーブルを新調した。
しかし椅子が4脚しかなかった。7人家族なのに4脚の椅子…
これについて鑑定人が「家族がバラバラなのを象徴している。解離性家族だ」と指摘している。
顔面麻痺
1986年 23歳の時に原因不明の左顔変形の神経麻痺なった。
会社を依願退職させられひきこもりとなる。
祖父が亡くなった後に第一の犯行
1988年5月16日
祖父が死去した。
1988年8月22日
第一の犯行を起こす。
1989年3月
晴海のコミックマーケットに漫画作品を出品。
1989年9月2日
逮捕
祖父への異常な執着
宮崎勤は幼少期から祖父にとてもなついていた。
祖父の死後、形見分けに来訪する親戚を追い返したり、後に「祖父の骨を食べた」と話すなどしている。
無実を信じる両親
宮崎勤の自宅に集まった記者に、父はこう話したという。
「子供のころはコツコツやるタイプで努力家だった。他人との付き合いに欠けていたので町の消防団を勧めたのだが……。息子は物静かで大人しい性格。あんな事件を起こすような男ではない。夜、出歩くこともないし外泊もない」
「勤の部屋を見ていただければわかる」

他人事のような態度
宮崎勤は裁判で自身の犯行についてこう話している。
「やったというより、起こった。」
「覚えがない、他人事だ。」
「ネズミ人間が現れ、怖くて何もわからなくなって気がついたらマネキンのようなものが落ちていた。落ちているものなら何でもいいから、おじいさんへの捧げものに用いた。」
また、公判で鑑定書が朗読されている間、メモ用紙に怪獣の絵を描いていた。
父親の自殺

1994年
父親は自宅を売って、その代金を被害者の遺族に支払う段取りをつけると、神代橋 (水面までの高さ30m)から飛び降り自殺を遂げた。
父の死について
宮崎勤は父親が自殺をした事を告げられると「罰が当たったと思った」と話している。
また、公判で父母の事を「父の人、母の人」と表現している。
死刑判決
2001年6月28日
最大の争点だった刑事責任能力を認め「まれにみる凶悪非道な連続犯行。極刑は免れない」とし死刑判決を言い渡した。
2006年2月1日 死刑が確定
2006年1月17日 上告棄却 「自己の性的欲求を満たすための犯行で、動機は自己中心的で非道。情状酌量の余地はない」と断罪された。
同日の午後に精神鑑定人が宮崎勤と面会をしたところ、宮崎勤は「何かの間違い」「無実になる」と話した。
2006年6月 宮崎勤は「月刊・創」の編集部に手紙を出している。
死刑は絞首刑をやめて薬を使用するべきだ。法律も残虐な刑罰を禁じている
死刑執行
2008年6月17日 東京拘置所で死刑が執行された。45歳だった。
宮崎勤の最期の言葉とされているものがある。
あのビデオ、まだ途中だったのに
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