ミルウォーキーの食人鬼
- 2020.08.16
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事件概要
| 発生国 | アメリカ合衆国 |
| 被害者 | 17人の青少年 屍姦、死体切断、人肉食 |
| 犯人 | ジェフリー・ライオネル・ダーマー 初めて殺人を犯したのは18歳の時 |
| 判決 | 終身刑 刑務所内で囚人に撲殺された |
ジェフリー・ライオネル・ダーマー(1960年5月21日~1994年11月28日)は、アメリカ合衆国の連続殺人犯。
ミルウォーキーの食人鬼とも呼ばれる。
1978年から1991年にかけて、17人の青少年を絞殺。
その後に屍姦、死体切断、人肉食を行った。その突出した残虐行為は、1990年代初頭の全米を震撼させた。またこの事件では、ミルウォーキー警察当局の無能と、人種的および性的マイノリティに対する偏見がジェフリーの蛮行を許したとして厳しく非難されることになった。
生い立ち
1960年5月21日
ジェフリーはミルウォーキーで、長男として生まれた。
生活は不安定だった。
母親のジョイスは情緒不安定気味で、ジェフリーを妊娠中は激しいつわりに悩まされ、医師からバルビツールやモルヒネなどの投与を受け、妊娠中にもかかわらず一日あたり26錠の錠剤を服用していた。
次男となるデイヴィッドを身ごもった時も薬物依存に陥り、ほとんど寝たきりになってしまっていた。
精神状態が悪化してかんしゃくを起こす母親と、研究にかまけて家庭を顧みなかった父親との間で幼いジェフリーは、精神的な安定を欠いた少年として成長することになる。
幼少期
6歳の時
1日中ぼさっと座って動かなくなるという不思議な行為を見せる。彼は幼少時からほとんど笑わなかった。
8歳のころ
小学校の同級生から性的な虐待を受けている。
この時、双方の両親が話し合い、今回は警察には不問ということになった。
学校時代には物静かでふさぎこみがちで、一人で森をぶらぶらして過ごすことが多かった。
父から昆虫採集用の科学薬品セットをもらったジェフリーは夢中になり、猫や鼠の骨をホルマリンの瓶に採集して回った。
小動物の死骸を強酸で溶かし、白い骨を取り出すのが面白く、事故で死んだ動物の死骸を集めて回ったという。
ジェフリーは多くの連続殺人犯とは違い、生きた小動物や昆虫に対する虐待は行わなかったが、死んだ動物の首を木の枝に突き刺すという残忍な行為を行っていて彼自身のネクロフィリアの兆候はここに始まっていた。
高校生
高校に入ると、IQ145の知能指数の高さで注目された。
しかし情緒不安定と集中力の欠如から成績はまったく振るわず、授業妨害をしたり、騒動を起こすなど、趣味の悪い悪戯を繰り返す問題児として評判は芳しくなかった。
両親の不仲は年々悪化した。
1978年に協議離婚が成立。
父ライオネルは姿を消し、母は弟を連れて出て行った。
母はジェフリーも連れて出ようとしたが、彼は無反応であったと言われる。
当時18歳のジェフリーは「成人」と見なされ、裁判所も両親も、ジェフリーのことについてはまったく触れないまま姿を消した。
実質的に、ジェフリーは見捨てられたのであった。
最初の殺人
1978年、ジェフリーは高校卒業を控えていた。
そのころ両親は離婚を巡り家庭裁判所で泥仕合を続けており、別居中のため
ジェフリーは一人で暮らしていた。
この頃に自分が同性愛者であることに気付き、その苦悩と孤独を紛らわせるため、アルコールに逃避することも覚えていた。
高校卒業を孤独のうちに迎えたジェフリーは、その数日後、町外れでロックコンサート帰りの19歳のスティーブン・ヒックスというヒッチハイカーを拾い酒とマリファナで自宅へ誘った。
両親が離婚して以来、空き家となっていた自宅にヒックスを連れ込み、住んでいたころの思い出を語り聞かせた。
ジェフリーは、人と打ち解けることの喜びを初めて味わったが、ヒックスが父親の誕生日祝のために帰宅すると言い出した。
彼を帰したくないジェフリーは、手近にあったダンベルでヒックスを背後から殴って、気を失ったところを絞殺。
死体の衣服をはぎ取って肛門を犯し、ナイフで腹部を切り裂くと、鮮血をすくって体に浴びた。
その内臓を床に広げて血だらけにし、その上を転がって射精した。
その後死体を床下へ運び込み、バラバラに解体した。しばらくは手元においていたが、腐敗しだしたため、首以外の部分はゴミ袋に詰めて近くの森に埋めた。
これが、ジェフリーの初めての殺人である。
この殺人は衝動的なものであり、長くジェフリーのトラウマとなることとなった。
この事件以後、彼はますますアルコールに依存することとなる。
彼は逮捕後、この事件を「もっとも思い出したくない出来事」として語っている。
アルコール依存
その後、再婚した2番目の妻を伴って帰宅した父親の勧めで、ジェフリーはオハイオ州立大学へ進学したものの、重度のアルコール依存症に陥っていたジェフリーは授業をまともに受けられる身ではなかった。
大学での彼の日常は飲み代を稼ぐために血液銀行で売血し、その金で大学の寮の自室で浴びるように酒を飲むというものだった。
結局、1学期終了と同時に大学から退学勧告を受けた。
アメリカ陸軍への入隊
その後、アメリカ陸軍への入隊手続きをとったジェフリーは、憲兵になるための訓練を受けるが挫折。
転属を命ぜられ、そこで新たに衛生兵としての訓練を受ける。
訓練が終了すると、駐独アメリカ軍第8歩兵師団68連隊第2大隊に配属された。
入隊当初は勤務成績も良く、順調に昇進もしていたが、再び酒浸りの日々を送るようになり、任務がこなせなくなったため、1981年に兵役満了を待たずして除隊となる。
ドイツ駐留時代、基地周辺で5件の未解決殺人事件(被害者のうち一人は女性)が発生している。
ジェフリーはこれについて自白しておらず、犯人も不明のままだが、その手口からジェフリーの犯行だとする声が根強く残っている。
陸軍除隊後、祖母の元に身を寄せることになる。
ここでも相変わらず酒浸りの生活は改まることはなく、学生の時と同じように血液銀行で頻繁に売血を繰り返したためブラックリストに載せられたり、バーで問題を起こしては警察の世話になったりしていたが、その一方、経済的な安定を得るためにミルウォーキーのアンブロシア・チョコレート社の工場作業員として就職し、家族を安心させるという面も見せた。
再婚相手の継母はジェフリーに歩み寄る努力をしており、会話や行動の中からジェフリーの本来の姿を少しずつ見つけており、男性のマネキンをデパートから盗み、自宅の地下に隠している事を知り「同性愛者ではないか?」「病気があるんじゃないか?」と夫であるライオネルに相談したが、長年研究を言い訳に子育てを放棄し、精神疾患のある元妻からも逃げていたライオネルは、今更ジェフリーの事を知ろうとする行動は起こさなかった。
マネキン盗難事件からほどなくして、ジェフリーは近所に住む少年が交通事故死したことを新聞で知り、この少年の遺体を手に入れようと墓暴きに行ったことがあった。しかし季節は真冬で、墓を暴こうにも地面は完全に凍り付いて何度スコップを突き立ててもまるで歯が立たず、結局墓暴きを断念した。
就職してほどなく、ミルウォーキーのゲイバーやクラブに通うようになった。
ジェフリーは目をつけた男に薬の量や薬効を調べるための実験として、睡眠薬を混ぜた酒を飲ませるようになった。
1986年9月8日
12歳の少年ふたりにマスターベーションを見せたとして、1年間の保護観察処分を言い渡された。
連続殺人
1987年9月15日
ゲイバーで知り合った24歳の白人青年をホテルに連れ込み殺害。
1988年1月16日
ネイティブアメリカンの血を引く15歳の少年を祖母の家に連れ込み睡眠薬で眠らせてから絞殺。
死体を解体し、酸で肉を溶かした。
その後も犯行を続け、ラオス人少年に同じ犯行を行おうとしたが逃げられ、一度逮捕されている。しかし性的暴行の罪で捕まったに過ぎず、殺人に関しては発覚していない。
1990年3月
仮釈放。
ミルウォーキーの北25番街924号にあるアパートに住むようになる。
後に、ジェフリー・ダーマーの神殿と呼ばれる部屋である。
1990年5月
イスラム風のゲイの黒人青年を殺害し死体を解体。
その後も時期を開けて、殺人行為を繰り返し、
本屋の前で出会ったダンサーの黒人青年を自宅に招き入れ殺害した後にその肉を食べている。
ジェフリーは「無抵抗なゾンビ」を作り出そうと睡眠薬で眠らせ頭部に生きたままドリルで穴を開け、脳に塩酸を注入するロボトミー手術を行った。
しかし、いずれの被害者も失敗し、全員死亡している。
解雇
1991年7月15日
6年間勤務したチョコレート工場を、頻繁な欠勤と遅刻で解雇された。
このころになると、行き当たりばったりに犠牲者を手にかけるようになり、ただでさえ手狭な部屋はこれまで手にかけてきた犠牲者のバラバラ死体であふれかえり、異臭はもはやアパート全体を覆いつくすほどだったという。
犠牲者の数は17人に達していた。
事件発覚
1991年7月22日午後11時30分
左手首から手錠をぶら下げた黒人青年トレイシー・エドワーズが金切り声を上げて飛び出して来た。
巡回で居合わせた巡査に「近所のアパートに住む頭のおかしい白人の男に殺されかけた」と訴えた。
問題の部屋へ行き、チャイムを鳴らすとブロンドのハンサムな白人青年が顔を出した。男は礼儀正しく警官に応対したが、背後から強烈な悪臭が漂いだし、アルコール依存症の症状がみられた。
巡査が手錠の鍵を出すように云うと、ジェフリーは隣の寝室に取りに行った。
この時、黒人青年が「あいつナイフを持っていますよ」と巡査に小声で告げ、
巡査の1人がジェフリーを制して、自らが寝室に取りに行った。
鍵を探して引き出しの中を覗くとバラバラ死体のポラロイド写真があった。
「なんだこりゃ!」
その声を聞くや、ジェフリーは逃げ出そうとした。
「おい、そいつを逃がすな!」
ジェフリーはその場で床にうつぶせにされ、後ろ手に手錠をかけられた。
恐る恐る冷蔵庫を開けると、人の頭が入っていた。
その瞬間、ジェフリーは叫び声を上げた。
この世のものとは思えない、獣のような声で叫び続けた。
部屋の中を捜索すると、冷蔵庫から肉片や内臓などを入れたビニール袋、切断された複数の頭部が発見された。
その後の家宅捜索で、容量260リットルのポリ容器からは酸で溶解された3人分の胴体をはじめ、着色された頭蓋骨が複数、キッチンの鍋からは切断された手が数本と男性器が1本発見された。
床には引きはがされた皮膚や切断した指などが無造作に捨てられていた。
また、被害者のものと見られる運転免許証や社会保障カードなどの身分証明書のほか、死体の解体に使われたチェーンソーや解剖器具などが押収された。
冷蔵庫の中には人肉の他に食料らしいものがなく、ジェフリーが被害者を食べて暮らしていたことを示唆していた。
警察の対応
犠牲者のうちの1人、14歳のラオス人少年コネラク・シンサソンホンは、睡眠薬とロボトミー手術で朦朧としながらも部屋からの脱出に成功し、発見した黒人少女達が保護してもらうために警察を呼んだところ、警察は保護した少女達を信じず、ゲイカップルであると主張するジェフリーの発言を信じ、コネラク少年をジェフリーに引き渡してしまった。
さらに、警官達はゲイ同士の痴話喧嘩であると揶揄していたこと、
少女達の母親の抗議を無視していたことも明らかとなる。
有色人種、特に黒人と性的マイノリティを犯罪予備軍とみなし、日頃集中的な取り締まりを行っていた警察との関係は元々悪かったこともあり、
ミルウォーキーでは人種間の緊張が高まった。
判決
1992年2月17日
懲役936年、事実上の終身刑を言い渡される。
ジェフリー自身は死刑を望んでいたが、ウィスコンシン州及びオハイオ州の法律で死刑制度は廃止されていた。
1994年11月28日
刑務所のシャワールームで、黒人収容者クリストファー・J・スカーヴァーに撲殺された。(34歳没)
事件後
父親は仕事を辞め、自身と幼少期のジェフリーとの思い出を綴った手記の出版し、その売上を被害者遺族への賠償にあてている。
ただ現在は遺族らの一部が彼に対し「無責任な父親である」と裁判を起こしているため、裁判費用不足から慰謝料の寄付は滞っている。
この本は獄中の殺される前のジェフリーにも贈られ、読んだ彼は涙したという。

「息子ジェフリー・ダーマーとの日々」
ジェフリー逮捕の翌1992年
祖母 老衰により88歳で逝去。
2000年
母親 癌により64歳で逝去。
2023年12月5日
父親 心臓発作により87歳で逝去。
2023年1月
継母 81歳で逝去。
唯一の家族である弟は、事件後に改名し暮らしているという。
連続殺人の現場となったミルウォーキーの北24番街808番地を地図で見てみると
ここのはずだが、建物があった。

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