佐世保女子高生殺害事件
- 2020.10.05
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佐世保女子高生殺害事件(させぼじょしこうせいさつがいじけん)
発生日:2014年7月26日
場所:長崎県佐世保市
被害者は佐世保市の公立高校に通う女子生徒。
遺体が発見されたマンションに住む、同級生の女子生徒が緊急逮捕された。
逮捕容疑は、被害者を自宅マンションにて後頭部を鈍器のようなもので数回殴り、ひも状のもので首を絞めて殺害した疑い。
長崎県警察によると、遺体は首と左手首が切断されていた。
概要
事件まで
2014年7月23日
加害者は継母との会話の中で、猫を殺して楽しいことや殺人願望について語っていた。
そのため、事件前日の25日に両親が病院と協議したが、
病院からは「入院は施設の事情で即日の入院ができない」と言われていた。
また、「ただちに警察に通報せず、児童相談所に行く」という方針で一致していたが、その日に児童相談所に電話相談したものの、担当者から「今日はサマータイムで終わった。月曜日(28日)にしてくれ」と断られていた。
被害者は事件の1週間ほど前に、加害者に誘われ加害者の家へ遊びに行くと家族に話していた。
2人は26日昼、佐世保市内の繁華街で買い物を楽しんだ後、加害者のマンションに戻る。
殺害
26日20時 – 22時頃、被害者の後頭部を工具で複数回殴り、リード(犬の散歩に使う引綱)で首を絞めるなどして殺害したと加害者が供述。
被害者死因は頸部圧迫による窒息死であった。
遺体は、頭と左手首が切断されていた。
胴体部分にも刃物で切ったとみられる複数の傷があった。
殺害後
事件直後に衣服を着替えて身体を洗うなど、証拠隠滅と疑われる行為が見られる。また、加害者が自分のスマートフォンをマンションの5階から投げ捨てたと見られる。
帰宅しない被害者を心配した被害者の家族は捜索願を提出した。
27日未明、加害者のマンションを警官が訪れたが、加害者は被害者について「知らない」と答えた。
不審に思った警察官が室内に入ったところ、ベッドの上で仰向け状態の被害者の遺体と切断された頭部と左手首を発見した。
捜査
室内からはスレート切断用のこぎり、石頭ハンマー、テストハンマーが見つかっている。加害者は「自分で買った」と供述した。
発見された凶器のうち、のこぎりはベッドの上で、ハンマーはベッドの脇と下から見つかった。
加害者は「体の中を見たかった」「人を殺して解体してみたかった」などと供述しているが、2人の間の具体的なトラブルなどは不明である。
取り調べに「殴ってから首を絞めた。すべて私が1人でやりました。誰でも良かった。」と犯行を認めるものの、受け答えは淡々として反省の様子は見られなかった。
長崎地方検察庁は精神鑑定を検討し、8月8日には佐世保簡易裁判所が精神鑑定留置を認めたと報道されている。
なお、長崎県警察は7月29日午前に「2人の間にトラブルがあったとみられる」と公表していたが、同日午後には「間違いだった」と訂正している。
2015年1月20日、前年3月2日に佐世保市の自宅で就寝中の父親の頭などを金属バットで複数回殴るなどして殺害しようとした殺人未遂の容疑で、加害者を再逮捕した。
司法判断
2015年7月13日、長崎家庭裁判所は加害者に対し、医療少年院(第3種少年院)送致とする保護処分の決定を出した。
平井健一郎裁判長は「ASD(自閉症スペクトラム障害)が見られるものの、それが非行に直結したわけではなく、環境的要因の影響もあった」との趣旨のことを述べた。
時系列
以下の時系列は全て2014年のものである。
- 2月 – 加害者が父方の祖母と養子縁組をしており、父親の戸籍から外れる。
- 3月 – 加害者が父親を金属バットで殴り負傷させた。
- 6月10日 – 精神科医が児童相談窓口に連絡。
- 7月7日 – 加害者が精神科を受診。
- 7月16日頃 – 加害者が再び精神科受診。
- 7月中旬 – 加害者と被害者が会う約束を交わす。
- 7月23日 – 加害者が継母に「人を殺したい」と打ち明ける。
- 7月25日 – 父親と病院が協議。児童相談所に電話相談するが断られる。
- 7月26日(事件当日)
- 15時頃 – 被害者が、加害者の家に遊びに行く趣旨を両親に告げ、外出。
- 18時40分頃 – 被害者が母親に「19時頃に帰る」とメール。
- 20時から22時頃 – 事件発生。
- 23時頃 – 被害者の父親が警察に捜索願を提出。
- 7月27日
- 3時20分頃 – 加害者が暮らす島瀬町のマンションで、警察官が被害者の遺体を発見。
- 6時10分頃 – 加害者を殺人の疑いで緊急逮捕。
- 8月4日 – 弁護士が父親の釈明文書を公表。
- 10月5日 – 加害者の父親が花園町の自宅で死亡しているのが見つかる。自殺とみられる。
加害者
加害者は事件を起こした2014年春より、親元を離れて一人暮らしをしており、その一人暮らしをしているマンションで被害者の遺体が発見された。
家庭環境
加害者は佐世保市内で育つ。
実家は坂道をのぼった高台にある。不動産登記簿によれば、宅地面積は約80坪。地上2階、地下1階の鉄筋コンクリート造りの建物は、延べ床面積が300平方メートルを越える豪邸である。
『週刊文春』の取材に対し近所の住民は「15年ほど前、家を新築した時、ご主人が挨拶に回られて、近隣住民はお披露目に招待された」と述べている。
両親は長崎市出身で、父親は早稲田大学政治経済学部を卒業、県内最大手の法律事務所を経営しており、佐世保では有名な弁護士だった。
若手の頃に弁護士の山田正彦の下でイソ弁をしていた。
イソ弁とは、「居候弁護士」の略。
居候といっても、きちんと給料をもらって法律事務所に勤務しており、一般的には「アソシエイト弁護士」と呼ばれる。
ジャパネットたかたの顧問弁護士をつとめ、倒産案件などを数多く手がける弁護士として知られていた。
また弁護士としてだけではなくスピードスケートの選手としても名を知られていた。
2014年10月5日、自宅で首を吊って死亡しているのが発見される。
自殺とみられる。
母親は東京大学を卒業、地元放送局に勤めた。
市の教育委員を務め、教育活動に熱心だった。
兄は東京の有名私立大学で学んでいた。
人柄
幼い頃から学業は優秀で、スポーツも積極的だった。
中学校では放送部に所属しており、NHKのアナウンサーになるのが夢だった。「検事になって法廷で弁護士である父や、弁護士志願者である兄と戦いたい」という夢を語ったこともある。
また、冬季スポーツ種目で国体に出場しており、地元でも知られていた。
その一方、「あまり笑う子ではなかった」「頭が良すぎて特殊な子」といった評価も見られる。
中学生の頃から医学書を読んだり動物の解剖に熱中したりしていた。
さらに小学6年生時の2010年頃には、同級生の給食に薄めた洗剤や漂白剤、ベンジンを混入するいたずらをくり返すなどの問題を起こしていた。
また、2013年10月に実母がガンで亡くなって以降は、不登校が続いていた。
中学校卒業後には一人暮らしを始めるが、高校は1学期のわずか3日のみ出席していた。
2014年5月、父親が再婚する。
幼馴染によると、加害者は「(父と継母とは)一緒に住みたくない。」と言っていたという。
また、中学時代に祖母も亡くなっており、その頃から猫を解体したりしていた。
被害者との関係
被害者と加害者は、生まれた家が近いということもあり、知り合いだった。
被害者の父親は海上自衛官で、佐世保の第13護衛隊に属する護衛艦さわぎりの乗組員だった。
被害者は加害者とは中学校の同級生で、写真部に属し、明るくて面倒見がよい生徒だった。
担当精神科医
加害者の診察を以前から担当していた精神科医は、2014年6月10日に佐世保こども・女性・障害者支援センター(児童相談所)に電話で連絡を行った。
電話の内容は、精神状態の不安定さを懸念して「女子生徒は人を殺しかねない」といった内容だったが、文書決裁にとどめていた。
背景に、同センターの幹部職員によるパワーハラスメント発言(職権による人権侵害)があり、電話で報告を受けた職員が適切な処置について上司に相談することができなかったことなどが挙げられる。
北海道新聞の記事
事件前の医師通報に児相幹部「放っておけ」 佐世保の高1殺害
長崎県佐世保市の高1女子生徒殺害事件で、逮捕された少女(16)を事件前に診察した精神科医からの通報を県の佐世保こども・女性・障害者支援センター(児童相談所)が放置した問題で、通報を受けた職員に対し上司の男性幹部が「放っておけ」と発言したことが26日、県の調査で分かった。
県は9月下旬、この幹部が部下にパワハラを繰り返したとして文書で厳重注意処分にしている。発言内容は児相関係者に聞き取りをする中で出てきた。通報放置の理由について県は、幹部の部下の職員が「関係機関からの問い合わせ」と判断し内部処理したためと説明しており今後、幹部の発言内容の詳細を確かめる。
出所:2014年10月26日|北海道新聞
なお、2015年2月に同センターの所長と幹部職員は戒告の懲戒処分、別の職員が文書訓告処分となっている。
加害者の性癖を指摘する見解
佐川一政(作家、パリ人肉事件加害者)
『遺体をバラバラにしてみたかった』という供述に同性愛的な愛情を強く感じると指摘し、「『なぜ親友を解体できるのか』ではなく『親友だからこそ解体したかった』と解釈すべき」と分析。
父親の釈明文 原文
今回、私の娘が起こした事件により、何の落ち度もないお嬢様が被害者となられたことについては、お詫びの言葉さえ見つかりません。
人生の喜びや幸せを経験する時間を奪われ帰らぬ人となったお嬢様の苦しみと無念さ、お嬢様を愛しみ育てられたご両親様及びご親族様が受けた衝撃と悲しみの深さを深慮し、胸が張り裂ける思いでいっぱいです。
事件後、その思いが頭を離れることは一秒たりともありません。
本当に申し訳ございませんでした。
また、この事件により、社会に多大なるご不安・ご迷惑をお掛けし、捜査当局その他関係各位にご面倒をおかけしていることを深くお詫び申し上げます。
未だご遺族様へ直接の謝罪ができていない段階で、社会に対して私の心情を申し上げることについては、逡巡しておりました。
しかし本件が社会的反響の多い大事件であることを重く受け止め、事件から1週間が経過せんとする現時点で、加害少年の父親として、今後ご遺族様に対して、せめて道義的な責任を直視した対応をさせていただく決意であります旨、私の心情を披瀝させて戴きます。
今は私自身生きる自信さえ喪失しかけておりますが、私の命をもってお詫びしても償うことはできないものと捉え、特にご遺族様に対しては、そのご心情を十二分に配慮しつつ、適切な時期・方法において、謝罪・補償等、私の力の及ぶ限り誠意ある対応をしていく所存です。
複数の病院の御助言に従いながら、私たちでできる最大限のことをしてまいりましたが、私の力が及ばず、事件が発生したことについては、誠に残念でなりません。
どんな理由・原因があるにせよ娘の行った行為は、決して許されるべきものではありません。
本件については本当に申し訳ございませんでした。
重ねてお詫び申し上げます。
この釈明文は2014年8月4日に発表されたが、
2014年10月5日に加害者の父親が花園町の自宅で死亡しているのが見つかる。
自殺とみられる。
保護観察処分
2015年7月第三種少年院への送致が決定
少年審判前に刑事責任能力の有無を問うために、医療施設にて5ケ月間かけて精神鑑定が行われたが、医療関係者より刑事責任能力があるとの認定を受けている。
事件当時15歳だった加害者は、原則として刑事処分されることになる年齢に到達していなかったため、長崎家庭裁判所の判断により第三種少年院送致という「保護観察処分」に留る。
第三種少年院とは、心身に著しい障害があるおおむね12歳以上26歳未満の者を収容する施設。旧法の医療少年院に相当。
引用:少年院
長崎家庭裁判所の判断に対しては、長崎地検側から異例の批判的コメントが出るなど、物議をかもすことになった。
処分決定後、検察側は「再犯の危険が大きい」とするコメントを発表。表面上は裁判所の判断について「コメントする立場にない」としているものの、実質上は判断に強く反発している珍しい内容だった。
現在
加害者がどこの少年院に送致されたかについては明かされていないが、第三種少年院に区分される施設は、
東京府中市にある関東医療少年院と
京都府宇治市にある京都医療少年院しかないため、
このどちらかの少年院に収容されているものと思われる。
第三種少年院では、保護処分在院者を26歳まで収容可能となっているため、出院する時期は2024年頃になる可能性が高い。
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