【埼玉愛犬家連続殺人事件】ボディを透明にすると言って人を消していく。遺体なき殺人と呼ばれた殺人事件
事件概要
埼玉愛犬家連続殺人事件(さいたまあいけんかれんぞくさつじんじけん)とは、1993年に埼玉県熊谷市周辺で発生した殺人事件。
ブリーダー業を営んでいた関根元(げん)と、前妻の風間博子が共謀し、外国犬の取引でトラブルになった男性ら3人を猛毒の「硝酸ストリキニーネ」で毒殺した。
マスコミ報道が先行した事件であり、被疑者の映像が連日映し出された上、完全犯罪を目論んだ残忍な結末が明らかになるなど異常性の高い事件であった。
映画「冷たい熱帯魚」はこの事件をモデルにしたものである。
殺害方法
トラブルの発生した顧客らを、知り合いの獣医師から譲り受けた犬の殺処分用の硝酸ストリキニーネを用いて殺害し、計4人が死亡した。
関根元は「ボディを透明にする」と言い、遺体は店の役員である山崎永幸宅(ポッポハウス)の風呂場でバラバラにされた上、骨はドラム缶で焼却された。
それらは群馬県内の山林や川に遺棄され、「遺体なき殺人」と呼ばれた。
ペットショップの経営実態
埼玉県熊谷市にあった元夫婦の関根元と風間博子が経営するペットショップ「アフリカケンネル」は、「子犬が産まれたら高値で引き取る」とうたい、犬のつがいを法外な価格で販売し、子犬が店に持ち込まれると、難癖を付けて値切るなどという詐欺的な商売を繰り返しており、顧客らとの間でトラブルが絶えなかった。
首謀者の元夫婦
事件の首謀者とされる元夫婦 関根元と風間博子は、共同でペットショップ「アフリカケンネル」を運営していた。
1983年、関根元が単独で経営していた「アフリカケンネル」を、風間博子が訪れたことから二人は知り合い、意気投合して結婚。
関根元にとっては7度目、風間博子にとっては2度目の結婚であった。
風間博子の実家が資産家であることから、関根元が財産目当てに結婚したとも言われている。
その一方で、風間博子のブリーダーとしての成長ぶりや、金銭管理能力の高さから、関根元は風間博子に対し一目置いていた。
関根元が風間博子やその連れ子に対し激しい暴力を振るっていたが、それでもペットショップを経営していた。関根元と風間博子は一連の事件前の1993年1月に協議離婚している。税務対策の偽装離婚と言われているが、風間博子は本気で離婚したかったのかもしれない。真相は不明。
公判では罪をなすり合い、法廷では互いに目を合わせようとはしなかった。
関根元
1942年1月、埼玉県秩父市生まれ。「アフリカケンネル」の創業者で、実質的な経営者。ペットや猛獣の扱いにかけては天才的で、ブリーダーとしての腕は非常に優秀だった。シベリアン・ハスキーブームの仕掛け役、アラスカン・マラミュートの第一人者とまで言われた、業界の有名人。
かつては故郷の秩父市で、ペットショップや動物リース業を営んでいた。しかし、売った犬を盗んで別の客に売ったり、殺して新たな犬を売りつける等、当時から悪質な商売を繰り返していた。また、トラやライオンなどの猛獣も扱っており、近隣住民から恐れられ、嫌われていた。その後、付き合いのあった暴力団とのトラブルなどが原因で、一時期静岡県伊東市に姿を眩ますが、1982年、埼玉県熊谷市で「アフリカケンネル」を開業した。
人間心理を読むことに長けており、ヤクザのような風体とは裏腹の、独特なユーモアと巧みな話術に引き込まれる人も多かった。その一方で、前述のようなあくどい商法や、顧客に対する脅し、暴力団関係者との交友などから、深い関わりを避ける同業者も多かった。また、虚言癖があり、自分が異端の経歴を持つ資産家であるよう装っていた。周囲の知人や店の客に対してばかりでなく、著名なブリーダーとして雑誌やテレビの取材を受けた際にも、同様の虚言を弄し、店の宣伝に大いに利用していた。ヤクザの金に手をつけた事情で左手の小指を詰めているため、左手の小指がない。
関根元の「殺人哲学」
関根元は「殺人哲学」として以下の5つをあげていた。
- 世の中のためにならない奴を殺す
- すぐに足がつくため、保険金目的では殺さない
- 欲張りな奴を殺す
- 血は流さないことが重要
- 死体(ボディ)を透明にすることが一番大事
関根元の発言
共犯の山崎永幸によると関根元は
「殺しのオリンピックがあれば、俺は金メダル間違いなしだ。殺しのオリンピックは本物のオリンピックよりずっと面白い」
「そのうち、俺は殺しの世界で一番の男になりたいと思うようになった。人間なんでも一番にならなきゃ駄目だ。殺しにかけては俺がいまナンバーワン」
「死体がなければただの行方不明だ。証拠があるなら出してみろ。俺に勝てる奴はどこにもいない」
「最初は俺も怖かったが、要は慣れ。何でもそうだが、一番大事なのは経験を積むこと」
「臭いの元は肉だ。そこで透明にする前に骨と肉をバラバラに切り離すことを思いついた」
「骨を燃やすのにもコツがいる」などのコメントを残している。
2009年6月5日-死刑確定。
2017年3月27日-東京拘置所で病死。
妻・風間博子
1957年2月、熊谷市生まれ。「アフリカケンネル」の登記上の社長。寡黙だが、気が強い女性。いわゆるお嬢様育ちで、大の犬好き。関根元と知り合うまでは真っ当な暮らしを送っていた女性であったとされ、保育士をしたり、土地家屋調査士であった父親を手伝うため、測量の勉強をしていたこともあった。若くして結婚し、実子を二人設けたが、前夫とは離婚している。
関根元との結婚後は、関根元が先妻らにも入れさせた刺青を背中に彫るなどしている。ブリーダーとしても成長し、また、ドッグショーでは関根元に代わってハンドラーを務めるなど、表舞台に立つことが多かった。
浪費の激しい関根元とは対照的に、金銭管理能力に優れていたことから、「アフリカケンネル」の経理を担当。
関根元から暴力を受けていたとされる。また、風間博子の連れ子である息子も激しい暴力を受けている。
逮捕後、一貫して殺人への関与を否定している。
2009年6月5日-死刑確定。
2024年現在-服役中。
山崎永幸
1956年1月、富山県生まれ。ブルドッグのブリーダーであり、「アフリカケンネル」の役員。群馬県片品村で貨車を改造した住居(通称「ポッポハウス」)に住んでいた。ドッグショーの会場で関根元と知り合い、関根元の経営哲学を学ぼうとして「アフリカケンネル」を訪れるうち、誘われて同社の役員となった。だが、実質関根元の運転手や手伝いをしていたにすぎなかった。
司法取引
捜査段階では当時は違法な「司法取引」があったと公判で証言している。
検察側が用意した「関根と風間の2名で殺人と遺体損壊が行われた」という内容の調書にサインをすれば保釈すると言われた事や、取調室で妻と面会を許してもらったという事を語っている。
しかし検察側は妻との面会の件は認めたが、司法取引については認めていない。
検察官が約束を反故にしたとして、検察側が用意した供述調書とは違う内容を公判で証言した。
証言
公判では、殺人は関根元が行い風間博子は殺人は行っていない。遺体損壊のみだと証言している。
1996年6月7日-懲役3年の実刑判決が確定し服役。
1998年8月28日に満期出所。
その後、ペンネーム「志麻永幸」で事件の顛末を記した本を出版した。
事件
第一の事件
行田市に住む会社役員 川崎昭男さん(39歳)の場合
犬を買うために「アフリカケンネル」を訪れたことから関根元と知り合う。
当時、新商売を模索していた川崎さんは、関根元が勧める犬の繁殖ビジネスを手掛けることになり、「アフリカケンネル」からローデシアン・リッジバックのつがいを計1100万円で購入、先にメス犬だけを受け取った。
ところが、知人から犬の相場が数十万円であることや、高齢で繁殖に適さないことを知らされ、関根元に騙されたことに気づいた。また、メス犬が逃げ出し、繁殖が不可能になったことから、残るオス犬のキャンセルと代金の返還を求め、トラブルとなった。
1993年4月20日夕方、「金を返す」と言って熊谷市内のガレージに呼び出した川崎さんに、関根元が硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを栄養剤と偽って飲ませ、殺害。
その後、何も知らず外出から戻ってきた山崎永幸に対し、関根元は遺体を見せつけた上、「お前もこうなりたいか?」「子どもは元気か? 元気が何より」などと、山崎永幸やその家族に危害を加えることを示唆して脅し、山崎永幸の片品のポッポハウスに遺体を運び込ませた。
関根元は遺体の解体作業に取り掛かり、山崎永幸に対しては、ガレージに残された川崎さんの車を都内に運ぶよう指示した。
山崎永幸は熊谷に戻った後、風間博子と合流して2台の車で東京へ向かい、川崎さんの車を東京駅の八重洲地下駐車場に放置、川崎さんが自ら失踪したかのように偽装した。
熊谷で風間博子と別れた後、再び山崎永幸が片品の自宅に戻ると、既に川崎さんの遺体は解体されており、原型をとどめていなかった。
21日早朝、関根元の指示で骨や所持品をドラム缶で焼却。肉片などを川場村の薄根川に、焼いた骨灰や所持品を片品村の国有林に遺棄した。
一般に、一連の事件の動機は「犬の売買をめぐるトラブル」と言われるが、それが直接の動機になったのはこの事件だけである。
第二の事件
稲川会系暴力団 遠藤安旦(やすのぶ)さん(51歳)の場合
江南町に住む稲川会系暴力団 遠藤安旦(やすのぶ)さんは、関根元が第一の事件の被害者である川崎さんを殺害したのではないかと察知し、関根元に多額の金銭などを要求するようになった。
やがて、新犬舎の土地建物の登記済証を要求された関根元は、このままでは全財産を取られてしまうと危惧し、遠藤さんを殺害することを決意した。
その際、遠藤さんと常に行動を共にしている運転手の和久井奨(21歳)さんも、口封じのために殺害を決意。
1993年7月21日夜、関根元と風間博子は山崎永幸の運転する車で遠藤さん宅を訪れた。
関根元と風間博子が遠藤さん宅に上がり、山崎永幸は遠藤さん宅前に停めた車の中で待機していた。
遠藤さん宅では、関根元と風間博子が遠藤さんの要求に応じる振りをし油断させた上、硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを栄養剤と偽って遠藤さんと和久井さんに飲ませた。
遠藤さんは間もなく倒れたが、和久井さんはしばらく薬効が現れなかったので、関根元らは時間稼ぎのために「救急車を呼ぶ」と言って、和久井さんを誘導のために表通りに出した。
その後、関根元と風間博子は山崎永幸の車に乗り込み、さらに表通りにいた和久井さんを乗せ、「遠藤が女を呼んでいる」と言って女を迎えに行く素振りで山崎永幸に車を出させる。
江南町内の荒川堤防沿いの人けのない道路を走行中、突然助手席の和久井さんが苦しみだし、フロントガラスにひびが入るほど激しく苦悶した後、絶命した。
遠藤さん宅に戻って遠藤さんの遺体を車に積んだ後、3人は2台の車に分乗し、片品村のポッポハウスへ向かった。
ポッポハウスに運び込まれた遺体は、風呂場で遠藤さん、和久井さんの順に解体された。関根元と風間博子が共同で解体し、山崎永幸は包丁を研ぐなどして協力した。
22日早朝、解体が終わると、風間博子は熊谷へ戻り、関根元と山崎永幸が骨や所持品の焼却に取り掛かった。肉片や骨灰などは、川場村の薄根川、片品村の塗川や片品川に遺棄した。
第三の事件
行田市に住む主婦 関口光江さん(54歳)の場合
行田市に住む主婦 関口光江さん(54歳)は、次男が「アフリカケンネル」で働くようになったことから関根元と知り合い、肉体関係になった。
しかし、関根元は自分に信頼を寄せる関口さんに「アフリカケンネル」の株主になるよう持ちかけ、出資金を詐取することを画策。
金を詐取した後で関口さんを殺害することを決意した。
また、関口さんとの交際を煩わしく思うようになっていたことも、動機の一つとされる。
1993年8月26日午後、関根元は行田市内で関口さんを車に乗せ、出資金の名目で、当時の関口さん家のほぼ全財産である270万円を詐取した後、硝酸ストリキニーネ入りカプセルを服用させ殺害した。
関口さんは最後まで関根元を信じていたという。
関根元からガレージに呼び出された山崎永幸は、後から車で現れた関根元にまたしても遺体を見せつけられ、迫られて遺体を片品村の自宅に運び込んだ。
関根元は関口さんを解体したが、山崎永幸の著書によれば、その際関根元は屍姦を行ったという。
解体後は骨や所持品を焼却。27日未明、全て同村の塗川に遺棄した。
この事件では、全面自供した山崎永幸には関口さんと面識がなく、遺体となった際に関口さんと初めて対面した。
そのため、山崎永幸が被害者と面識があり、殺害の直前・直後に現場に居合わせた事件と比較すると、立証が難しかった。
また、風間博子が関与していた疑いは強いものの、山崎永幸の目撃証言などからは立証できず、関根元の単独犯行とされた。
遺体なき殺人
一連の事件で特筆されるのは、関根元が「ボディを透明にする」と呼んだ残虐な遺体の処理方法である。
被害者4人の遺体はポッポハウスの風呂場で解体された。骨・皮・肉・内臓に分けられた上、肉などは数センチ四方に切断。
骨はドラム缶で衣服や所持品と共に、灰になるまで焼却され、それらは全て山林や川に遺棄された。
関根元は、遺体を埋めても骨は残ることから、焼却してしまうことを考案。しかし、遺体をそのまま焼くと異臭が発生するため、解体して骨のみを焼却したという。燃え残りが出ないよう、1本ずつじっくり焼く念の入りようであった。
このことについて山崎永幸は、関根元が『面白い・楽しい』と語っていたと供述している。
捜査
事件発生から被疑者逮捕まで
会社役員の川崎さん失踪翌日の1993年4月21日、家族から埼玉県警行田警察署に捜索願が出された。当初は単なる家出人と見られていたものの、乗り捨てられた川崎さんの車が発見されたことから、県警が事件性を察知して捜査に乗り出した。
家族の話から、川崎さんが関根元とトラブルを抱えていたことがわかり、また関根元の周辺ではその9年前にも連続失踪事件が起きていたことから、県警は関根元や山崎永幸に対し、監視や尾行を行うようになった。
ところが、関根元らは捜査の目をかいくぐって、
暴力団の遠藤さん
運転手の和久井さん
従業員の母親である関口さん事件を起こすに至った。
いずれの事件も、不明者が関根元と会った直後に失踪していることから、同年秋頃からは県警が本格的な捜査に着手した。
関根元らの監視を強化し、関根元の知人に対しては、1人で関根元と会わないよう忠告。
1994年1月26日、本事件とは無関係の大阪愛犬家連続殺人事件の被疑者が逮捕された事がきっかけで、同じ愛犬家の失踪事件として本事件の噂が広まり始め、2月中旬にはマスコミが「アフリカケンネル」に押しかけた。
一気に事件が表面化し、ワイドショーなどで連日報道。関根元が身の潔白を主張する一方、失踪者の家族らは事件性を訴え続けた。

9月22日、埼玉県警は関根元の知人で、元自衛官を詐欺容疑で逮捕。元自衛官は、関根元に代わって「アフリカケンネル」に押しかけたマスコミの対応を引き受け、疑惑を否定するなどしており、事件について何か知っているものと見られていた。
取り調べの中で元自衛官は、1984年の事件についての関与を一部認めたほか、1993年の事件については山崎永幸の関与をほのめかした。
10月17日、山崎永幸は妻(後妻)と共に行方をくらました。
11月24日、都内の病院に現れた山崎永幸夫婦のうち、妻を逮捕。
山崎永幸には逃走されたが、山崎永幸自ら捜査員に電話を掛けて話すうちに、出頭を決意。
やがて山崎永幸は犯行に関与したことを自供し、片品村に捜査員を案内し、川崎さんの遺骨や遺留品の発見に至った。
1995年1月5日、関根元と風間博子を川崎さんに対する死体損壊・遺棄容疑で逮捕。
1995年1月8日、山崎永幸も同容疑で逮捕された。
未解決事件
関根元の周辺では1984年にも秩父市などで少なくとも3人の男女が失踪している。埼玉県警は関根元らの供述に基づき、遺体の捜索を行ったものの発見できず、立件されていない。なお、この他にも数名の失踪者や変死者がいる。
- 2月11日 – 秩父市の暴力団員Eが失踪。関根元の兄貴分で、金銭トラブルがあった。
- 5月8日 – 秩父市のトラック運転手Fが失踪。Fは関根元が秩父で経営していたペットショップの店員をしていたことがある。関根元からの電話を受け出掛けたまま失踪した。
- 6月上旬 – 深谷市のスナック経営者Gが失踪。関根元の知人である元自衛官の妻。元自衛官がGの高級外車を勝手に売却するなど、夫婦間で金銭などをめぐるトラブルがあった。周囲の知人らが気付かぬ間に失踪した。元自衛官の証言によれば、夫婦喧嘩で殴って死なせてしまい、関根元に遺体の処理を依頼したという。この事件については、関根元は死体損壊・遺棄にのみ関与したとみられている。
元自衛官は警察の調べに対し、EとGの死体損壊・遺棄に関与し、関根元が解体した遺体を、自分が荒川に遺棄したことを証言。その供述を元に、1995年4月、捜索が行われたが、目ぼしい物証は発見できず、未解決事件となった。
経過
- 1995年7月 – 浦和地裁で山崎永幸(7日)、関根元と風間博子(24日)の初公判がそれぞれ開かれる。
- 1996年6月7日 – 東京高裁 山崎永幸懲役3年の実刑判決(求刑・懲役3年6月)が確定。
- 2009年6月5日 – 最高裁が関根元と風間博子の上告を棄却。両名とも死刑が確定。
- 2016年11月 – 関根元が心臓発作で倒れ、治療。
- 2017年3月27日 – 関根元が収監された東京拘置所で病死。
- 2024年現在、風間博子は東京拘置所に収監されている。戦後日本では12人目の女性死刑囚である。
まとめ
「遺体があるから捕まる。ボディを透明にするんだ」という関根元の言葉。
知人には30人以上殺したと発言しているともされる。
不明者は既に殺されているのかもしれない。
また、風間博子は本当に殺人にも加担していたのか。
現在も再審請求を続けているという。
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